アスラン

令和2年3月に卒業した田邉未来蘭です。
僕は昭和第一学園高校を卒業し、一浪を経て、高校の頃から第一志望であった芝浦工業大学の建築学部に合格しました。
理系で国語が全くできず、共通テストで国語を選択することができなくなるほど国語力がないので文章がおかしいかもしれませんがご了承ください。
先に去年の【卒業生からのことば】を読んで欲しいのですが、そこに僕はこんなことを言っていました。
「1年間の勉強と3年間のサッカーを努力し続けられたのは目標があったからです。サッカー部としての目標を達成する可能性はもう消えましたが、まだ第一志望の大学に合格するという目標は消えていないので、もう1年僕は努力します。」
1.2年生まではサッカー部とたくさん遊んで勉強なんて大してしてきませんでしたが、3年になり、受験勉強を始めてからはサッカー部とは1回も遊んでません。ミーティング前の教室で勉強してたり、合間時間に勉強してたりしたので、サッカー部の友達は「遊びに誘いづらい」と言っていました。みんな陰で応援してくれて、試験が近づくとメッセージくれたりする人もいて、そのおかげで諦めずに最後まで努力し続けることができました。
しかし、こんなに頑張ってきたのに結果は不合格。
ここから僕の浪人生活が始まるわけですが、塾に通わず、宅浪だったのもあり、いろんな感情がこの一年で湧き上がってきて、ここで話すには重すぎるので割愛します。浪人中も全く遊ばなかったってわけではありませんが、ほとんど家にこもって、5時に起き勉強を始めて1日2食にし、22時に寝るっていう習慣を続け勉強し続けてきました。その結果、第一志望の大学に合格しました。
僕は、この受験勉強をしてきた2年間に明確な目標がなかったら周りの浪人生のようにどんどん勉強をしなくなってただのニートになっていたと思います。でも、大学に合格するって言う目標ではなく、大学に行ったその先を目標にしていたので心が折れてもすぐ立ち直ることができました。
この1年間で感じたことが一つあります。それは、スタート地点はみんなそれぞれでほんのちょっとの努力で成功しちゃう人もいれば、死ぬほど努力しても失敗で終わる人もいます。でも、一般的に言うと失敗で終わってるかもしれませんが、その人がこれまで通ってきた道のりを見返せば自分自身は成功に思うことができると思います。僕は浪人させてもらって普通は味わうことができないことを経験できただけでも、人生において成功であると思います。
話は変わりますが、支えてくれる友達や家族は本当に大切にしてください。
1年間ほとんど友達とLINEとかしないで家でこもってた身から言わせてもらうと、友達と家族は最高です。