ソソギ4

淋 優希

まずこれまで支えてくださった両親、指導者、チームメイト、マネージャーありがとうございました。
自分は武器と呼べるようなものはなく大体のことをそれなりにこなすって感じでした。引退するまでそうだったと思います。A1のメンバーはみんな何かしら人よりは優れてる武器がありました。しかし自分は武器がなく他の人と差をつけるようなことが出来なく試合にもなかなか出れませんでした。正直自分がA1に居ていいのかいる意味があるのかとずっと思ってました。その思いは最後まであったと思います。
自分はBチームの時、主にボランチをやっていてA2に上がってからもボランチをやっていました。しかしプレーが上手くいかず不安定で2年の秋頃から試合に出る機会がだんだん減っていきました。そこでBチームの時に少しやっていたCBで龍先生に使ってもらっていました。でも自分はボランチでプレーしたいと思い龍先生にもそれを伝えたこともあります。そしたらボランチでは今は6番手くらいだと言われ、ならCBで自分の苦手な球際や浮き玉の処理を克服してからボランチに戻ればと言われCBをやることになりました。CBをやり始めてからも全然上手くいかずミスばっかで心の中で自分は本当はボランチだからと言い訳をしていました。
ある日の練習試合で自分だけ6本くらい連続で試合に出た時がありました。声を出さない自分に対して龍先生がA2に入ってチームを統率しろと言いました。最後の方足も動かないし頭もまわらず地獄だと思ってだけどその試合で何かが吹っ切れて自分が少し変われたと思います。それからはCBの自分に1つずつ目標を与えてひたすらやってました。

もう1つ自分が変われたと思える試合は駒場戦です。ヒロトが怪我で自分がスタートで出ることになって裏も取られたりミスも多い試合だったけど90分戦い抜いて勝利を味わうことが出来たことはとても自分の心に残ると共に試合に出ることの楽しさを再確認が出来た試合だと思います。その後、ずっとモチベーションを保てたかと言うとそうではなかったし選手権まであっという間でした。選手権で日大豊山に負けてTリーグ優勝のかかった国分寺にも負けその後のミーティングで残るか残らないかは自分の意志で決めて良いってなった日は正直残っても出れるとは限らないし残らないって自分の中で思ってました。次の日家でぼーっとしてたら国分寺のはしゃぐ光景が浮かんで自分も皆で昇格を味わいたいと思いました。それでもずっとサブだった自分にとってはすぐに決めれるようなことではなかったです。
だけどソラに一緒にやるぞって言われて最後までやってみようって思えることが出来ました。明星戦も試合には出ることは出来なかったけどそれ以上のものを味わうことが出来、残って諦めなくてよかったなって思えました。あの幸せをこの先超えることはないと思います。それくらい自分にとって価値のあるもので両親、指導者、チームメイト、マネージャーには本当に感謝しています。

後輩へ
自分は特にBチームの人に言いたくて自分がBに居た時まさか自分がTリーグや選手権に出れるなんて思ってもなかったです。多分そう思ってる人がいると思います。だけど今の環境で自分に何ができるのかを考えて積み重ねていけば指導者は見てくれているので評価されます。自分が何か特別な努力をしたかと言われたら何もしてません。いつも三日坊主でした。だけど練習中は自分には何が足りないかめちゃめちゃ考えながらやっていました。そんな簡単なことでいいのでやってみて欲しいです。

両親へ
これまでサッカーを続けさせてくれてありがとうございました。もっと試合に出て活躍してる姿を見せたかったと言うのが本音です。だけど出てる出てない関係なく毎回試合を見に来てくれてありがとうございました。サッカーをやれて楽しかったです。

 

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田中 瑠貴

サッカー部に入って2年は公式戦に出たことがありませんでした。このままやってても一回も出れずに終わると考えた時今辞めたら楽になれるかなとか何回も考えましたでも自分はいろんな人に支えられて続けることができたと思います。1年の時先輩の試合を見ていて来年はBなら出れるかなとか甘いことを考えたりもしてましたでも現実そう甘くなくて、2年生で後輩が入ってきてすごく嫌でした。みんな自分より大きいし自分より上手いし、だからあまりGKトレーニングも好きじゃなかったです。その時からです。自分は練習から逃げるようになったり体調が悪いわけでもないのに理由をつけて休んだりし始めたのは。そのくせに自分はなんで試合に出れないんだろうとか思ってました、でもちゃんと考えたら当たり前のことでした。サボってたやつが出れるわけないし下手なのに努力しなきゃ意味ないって。それに気がついていてもやる気も出ないし努力もしませんでした、その結果試合にも出れませんでした。でも龍先生や野田さんは、最後は自分を使ってくれました。使ってくれたからには活躍したいと思ってました。ですが自分が出た5試合全て負けてしいました。ここまでが自分の3年間の後悔です。
逆に3年間続けてよかったのは、ほんとに最高の仲間と出会えたことです。最初はみんな苦手でちょっと嫌いでした、でも3年間一緒にサッカーしてみんなの良さがだんだんわかってきました。特にA2のみんなには感謝してます。自分が何回失点しても一緒にサッカーしてくれたからです。ほんとにありがとうございました。
長くなったけど、この3年間自分に関わってくれた全ての人のおかげで濃い3年を過ごすことができましたほんとにありがとうございました。

 

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斧田 颯太

3年間サッカーをさせてくれた保護者、指導者、サッカー部のみんなには感謝しています。

振替って見ると挫折してばかりの3年間でした。野田さんと毎日のように喧嘩したり、怪我を繰り返したり、プレーが悪くB2まで落ちたり、どうしても自分たちの代の試合に出れず焦りやストレスばかりで正直辛くて自分はメンタルがずっと弱かったのでグラウンドで泣きだしたり部活や学校にいけなくなることもありました。

それでも仲間のおかげでもう一度サッカーをしたいと思いなんどもグラウンドに戻りました。tリーグや新人戦、選手権自分の大きな目標だったものに1個も出れなかったけれどそれでも仲間とするサッカーがとても楽しかったし何より自分は絶対に最後までやりきるって決めていました。

最後の昇格戦で私は残る決断をしました。周りのA2の人達はほとんどが辞める決断をし、今までの自分だったら周りに合わせ辞めたいたと思いました。けれど私はどうしても諦めれずもう一度チャンスがあるなら全力で頑張るしかないと思い、続けることを選びました。何度も何度も悔しい思いをして挫折をいっぱいしたからこそここで終わったらだめだと思ったしどうしてもみんなとサッカーを長くしたいし、最後まで戦い切りたいと思いました。続けたからといって最後の試合に絶対に出れるわけじゃないし実際に試合に出ることはなかったです。けれどあの短い期間を続ける選択をしたことで辞めることを選ぶよりも何倍も楽しかったしあの期間でより自分は成長出来た気がします。何より最後までみんなと3年間戦えたことがとても嬉しかったです。

指導者、3年生へ
こんな自分勝手でわがままな自分と一緒にサッカーをしてくれてありがとうございました。みんなの支えがあったおかげで最高の3年間になりました。みんなと共有した時間が一生の思い出です。またいつか一緒にサッカーをしましょう

親へ
3年間応援してくれてありがとうございました
いつもお弁当や洗濯をしてくれたり何不自由なくサッカーをさせてくれて感謝しています。
最後の最後まで地区1部で1勝もできなかったしA1の方で出たりすることはなかったけれどそれでも最後まで1番近くで支えてくれてありがとうございました。楽しかったです

 

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小宮 拓人

3年間のサッカー部を通して個人的にはメンタル面が少しは成長したかなと思います。この3年間で自分はサッカーができない期間が多くありました。膝を怪我したり入院もして、半年ほど運動すらもできない日々が続いていて、体を動かしたくても動かせなくストレスなども溜まったりすることもあったと思います。それに怪我の期間運動をすることが出来なかった為、復帰した際に体力が完全に落ちていて前までのような動きが全く出来なくなってしまっていました。そういったこうもありとても大変な時期もありました。3年間で楽しいこともあったけれど自分は苦しい時期が多かったなと感じました。保護者の方たちには試合の応援や合宿などで沢山手伝っていただいたりしていただいてとても感謝しています。3年間色んなことが沢山あったけれどやり通すことが出来て良かったと思います。

 

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竹市 竜万

僕はチームの中で一番を争うくらいサッカーが下手くそだった。大した長所もなく、おまけにものすごく足が遅かった。でも、1年生のとき僕がこの部活を辞めなかったのはプライドだけだった。僕は自分の中でこの部活に入る前から絶対に部活を辞めずに最後までやりきろうと言う精神だけで今まで戦ってきた。でも周りはみんな強くて速くて上手かったからこのままでは自分の居場所がなくなってしまうのではと不安になることもあった。

現選手にも同じようなことで悩んでたり、不安な選手はいると思う。そんな選手達に向けて少し自分の経験談を話します。そんな不安の中で僕がとった行動はとりあえずがむしゃらにチームについて行くこと。つまり受けに回ってしまうということです。受けにまわることに賛否両論あると思います。自分はダメだとは思いません。誰でもいいから自分が今近ずけそうな人だったりプレーの上手い人を観察してこれなら今の自分でもできそうなことを探してチャレンジしてみてください。失敗を恐れず何度もチャレンジしてください。不格好でいい、誰に笑われたっていい、だって自分より下はいないのだから負けるのは当たり前。勝てないのはしょうがない。これぐらいの精神で取り組んでみてください。そして、まぐれでも成功するまでやって、できた時自分を褒めてください。褒めて伸びない人はいません。ここで成功して終わりではなく、成功し続けるためにどうして成功できたか分析できるといいです。分析することで1度成功したことは繰り返しできるようになって自分のものにできます。
しかし、これには限度が出てきてしまいます。これが一番自分の中では悩んだ事です。アジリティであったり、体格、自分自身のスタイルによって差が生まれることです。トレーニングなどで多少の差は埋まるかもしれませんが足が急に速くなったりはしません。こうなってくるとこれでは選手としての限界です。

ここで新たな策として自分だけの武器を手にすることです。何かしら周りと差があるのであれば同じく周りに差をつけている所があると思います。またはまだ誰もいないようなプレースタイルを生むのもありだと思います。下手な者はいわばギャンブラーです。試合にでて活躍することに賭けているのです。そのかけに負ければチームに必要とはされなくなり選手として終わります。私はそれぐらいの覚悟で3年間必死にがむしゃらに周りから吸収して賭け続けました。自分は基本ひとりでいたから相談できる仲間もあまりいませんでした。

自分が悩んでいてもまともに話してくれそうな人はいなそうでした。そんな時は一番話しやすいコーチに頼ることです。コーチなら誰でもまともに話してくれくれるはずです。実際何度か自分も相談に乗ってもらうことがありました。それでも、1番は信頼できる仲間がいるということだと思います。それも1つの武器であると思うし、コミュニケーションをとれる存在であるということはチームスポーツの上ですごく重宝されるものだと思います。

最後にせめて身近な人だけでも感謝をするということをして欲しいと思います。部活していた時は母が3食の食事をほぼ毎日用意してくれてました。料理をする人ならわかると思いますが、3食を作るだけでもすごく大変でそれを毎日用意するなんてものすごく大変だと思います。中々正面から言うのは恥ずかしかったりするとは思いますが心の中でも感謝しておいた方がいいと思います。長くなりましたが、龍先生をはじめコーチの方々3年間漢に育てて頂きありがとうございました。昭和第一学園サッカー部のこれからのご活躍を楽しみにしております。

 

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松浦 康生

三年間支えてくださった指導者の方々、保護者の方々、本当にありがとうございました。
サッカー部での活動は本当に楽しくて毎日幸せでした。試合を振り返ると後悔していることは何回もあり、やり直したい気持ちが強いです。特に日大鶴ヶ丘戦の試合は鮮明に覚えていて、延長のファールがなかったら勝てたかもしれないとか、体力がもっとあったら、とか後悔ばかりが残っている試合でした。今振り返ると自分が上手くいかなかったりする試合はチームでなく個人で打開する、自分のアシスト、ゴールで試合に勝つなどの自分勝手な考え方をしていて大抵そうゆう試合ではチームメイトと言い合ったり、相手選手と喧嘩したりといったチームに迷惑をかけてしまう事ばかりでした。特にバック陣のヒロキ、フウガ、ヒロトなどには大変迷惑を掛けたと感じています。申し訳ないです。逆に失敗を通して堅実なプレーが如何に大切かと感じ、チームプレーの楽しさを実感できた3年間でした。
【後輩へ】
練習や試合で自分自身の長所だと思うプレーにどんどんチャレンジしてください。自分がどうゆうプレイヤーになりたいか参考の選手を見つけてとにかく調べて研究する事が大切です。今の2年生は特徴がある選手が多いと思います。スピード感があってポジショニングが上手いリュウビや守備の貢献度と推進力のあるタケハナだったり。1年生にスタメンを譲らないようにプライドを持って練習に励んでください。
【両親へ】
13年間支えてくれてありがとうございます。毎日美味しいお弁当と汚い練習着を綺麗に洗濯してくれたお母さん、毎試合見返せるようにと撮影し、プレーのアドバイスをしてくれたお父さん、ありがとう。中学で何回も私生活や学校での態度を厳しく、正しく怒ってくれたから高校では立ち直る事ができました。これからは自分が恩を返していきます。本当に感謝しています、ありがとう。

 

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染谷 律稀

まずは3年間ありがとうございました。
正直よくここまで続けてきたなって思ってます。中学校の時にケガをしてから休みが増えてそこからだんだんサボり癖がついてしまいました。高校の部活ではこのサボり癖を治そうと思ってました。だけど人はなかなか変われないもんでそのサボり癖はなかなか治りませんでした。多分意識の問題なんだと思います。2年生の時まではチームでも意識高くしようなどミーティングをしていたのに自分は他の人に紛れてやり過ごせばいいとか適当なことを考えていました。

そして先輩達が引退して自分達の代になり、後輩達と時間過ごすことになります。そして新チームとなり自分はBチームにいました。新しいチームで練習をしていくうちに多分見栄でも張りたくなったのかわかんないけど今まで大して声も出さなかったけど少し出てくるようになりました。またFWだけどなくボランチでもプレーをするようになり周りと喋んなきゃいけないみたいなのもあったかもしれません。

ですがそこからだんだん意識が変わっていったようで結構声とか出てくるようになった気がします。そこから少しだけど自信もついてプレーも1,2年生の時よりかなり良くなったって勝手に思ってます。そして3年生の夏になり自分達はA2としてプレーし地区一部で戦うことになりました。自分はB2で地区三部で試合をしてきてたから結構不安に思っていました。そして結果は地区一部降格でした。自分は出場機会にはあまり恵まれずほぼ何も出来ないまま終わりました。しかし、チームは全員が一丸となって最後まで諦めずに戦うことが出来ました。負けから学ぶと言うように、どんだけ負けていても、点を離されようが最後まで諦めずに最後まで戦うと言うことが身についたと思います。最後まで諦めないなんて言うのは社会に出ても役に立つと思うし最高にいい経験が出来たと思います。
短いですがとても濃い3年間でした。

指導者の皆様へ
3年間ありがとうございました。
走れないし、下手な自分でしたが期待をしてくれて、そしてサッカーだけでなくピッチ外の事がとても重要ということを教えてくれてありがとうございました。人として中途半端だった自分をここまで成長させてくれて本当にありがとうございました。

後輩達へ
下手くそだし別に意識もそんなに高くなかった奴が言うことでもないけどチームのために行動してみてください。そしたら自然と自信もついてくると思うし、そういう所は指導者だってよく見てくれてるから試合にも出してもらえるようになると思います。2年生はあと1年、1年生はあと2年あるけどこんなのすぐ終わっちゃうから後悔とかしないように頑張ってください。

両親へ
18年間育ててくれてありがとう。
高校は第一志望は落ちて、大学も第一志望落ちた挙句バカみたいに高い学費を払わせてごめん。難しい学部だけどめっちゃ頑張るんで応援してください。
これからもよろしくお願いします。

 

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中村 俊介

初めに龍先生を初めとする指導者の方々、そしてどんな時間でもどんな場所でも会場に来てくれて応援してくださった保護者の方々3年間本当にありがとうございました。私はサッカー部に所属していてたくさんの人にお世話になりました。楽しい時も嬉しい時、辛い時、悲しい時も常に共にいた仲間達。その中でも特に1人の選手の存在は大きかったです。それはキャプテンの染谷拓杜です。自分にとってはただのキャプテンではありませんでした。全ての場面において自分にはかかせない存在でした。対人が強すぎるキャプテン。ヘディングが強すぎるキャプテン。常に練習中も試合中も声を絶やさないキャプテン。サブのメンバーの気持ちまで考えていたキャプテン。試合前日にグループに戦術と一言を添えて送ってくれるキャプテン。自分達の意見を監督に言ってくれるキャプテン。たまに急に変なとこでキレるキャプテン。3年間ペアを組んでくれたキャプテン。私にとって最高のキャプテン。みんなにとっても最高のキャプテン。こんなにいいキャプテンはいません。

でも1つ私は後悔しています。それはヒロトに頼りすぎてしまったことです。みんなヒロトに頼りすぎて誰もヒロトのことを試合中にカバーできなかった。誰もヒロトの気持ちを考える余裕がなかった。今だから言える。ヒロトは豊山戦の時にガチガチになっていた。責任、不安、重圧とか全部がのしかかって思うようなプレーができなかったはず。試合後にロッカールームでみんなに「もっとみんなとサッカーしたかったなぁ」って言って泣きそうになるヒロトを見てたら号泣してた。

引退するか残ってリーグ戦をするか決める時にまだ負けてモヤモヤしていたけど走るの嫌だしせっかく残ったのに決定戦で負けたらとかばかみたいな理由で引退しようとした。それにみんなもやらないって言ってるしって思って引退する方向性だった。でもいざ集まってやるかやらないかって時にA1で辞めると言ったのは自分だけだった。かといって今更辞めるって決めたのに変えるのもなと思って引退した。やめて数日は自由で楽だし家帰って寝れるし引退ライフ最高じゃんなんて思ってた。でもちょっとしてからサッカーが恋しくなった。てかみんなが恋しくなった。やっぱ戻りたいなーってみんなが練習してるのをこっそり見ながら思ってた。戻りたいなんて誰にも言いたくなかった。本当は戻りたかったけどみんなの前ではもうやらないからと言って変に強がってた。

でもある日ヒロトにこう言われた。「お前いつ戻ってくんの」と言われた数日後に龍先生にやっぱサッカーしたいですって言ってた。今思うとヒロトにこの言葉を言われてなかった明星戦はスタンドで応援してたと思う。素晴らしい3点目のゴールを決めれなかった。ありがとうヒロト。ほんとにありがとう。ヒロトだけじゃないみんなと出会えて一緒に戦えて本当に良かったです。ありがとう。
家族へ
13年間のサッカー人生を1番近くで見守って、サポートしてくれてありがとうございます。家族がサッカー好きな人達でよかった。じゃなかったらサッカーに出会えてなかったかもしれないから。ありがとう。自分の人生のサッカーの道をくれて。たくさんのサポートとアドバイスのおかけでここまで続けられました。主に食事面やメンタル面でサポートしてくれたお母さん。会場まで車で送迎してくれて、なにかあるとすぐ野球で例えてくるお父さん。1番の練習相手になってくれたお兄ちゃん。とても感謝しています。ありがとうございます。もうこれでサッカーは引退だけどこれからももっともっとお世話になるのでお願い致します‼︎
2年生へ
花田涼太、澤田陸人、宇野陽登を筆頭に生意気とかレベルじゃなくてどうしようもない2年生。でも一緒に戦えてよかったです。ありがとう。自分達が成し遂げられなかったベスト8を必ず達成させてください。
1年生へ
住田神をどうにかしてください
指導者の方々へ
3年間熱いご指導ありがとうございました。皆さんのおかけで成長することができました。部活で学び身につけたことをこれからたくさん活かしていきます。最後にあの手この手でアプローチしていただいたにも関わらず自分が全勝してしまいすいませんでした。

 

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立川 創登
この3年間は、自分を支えてくれている人の存在の大きさがどれほど偉大かを知らされるものでした。
1年から2年の途中まで伸び悩み、周りからの言われようも見られ方も嫌でサッカーから逃げようとしてしまった時期がありました。
その大きなブランクの中で悩み、自分はサッカーがほんとに好きだとわかった気がしますし、また何より周りの大人の方全員がサッカーを辞めることを猛反対していたことを覚えています。今まで自分のためにサッカーをやっていましたが、ここでこんな熱量で応援してくれている人達がいることを知り、自分だけではなくその人たちの期待にも応えれるように続けることを決心出来ました。
さらにその何ヶ月後に靭帯を切り、病院でその事を聞いた時は絶望しました。少しだけ立ち直れなかったですが、その状況をいかに楽しもうと考えた瞬間から逆にこの怪我にありがたみが湧いてきました。そして、自分を高める行動を増やしていこうと思い、さらに成長出来た気がします。今大怪我などをしている選手に伝えたいのは、考え方ひとつで全て変わるということです。周りに応援してくれている人がいることを忘れずに最後まで諦めないでくれたら嬉しいです。
最後に、ラスト勝利で恩返し出来なかったことがずっと悔やまれますが、常に僕たちのことを考えて下さり最高の環境を提供して下さった龍先生やコーチ陣、共に切磋琢磨してくれたチームメイト、ほんとにずっと応援してくれていた両親、全てに感謝したいです。
ほんとにありがとうございます。

 

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吉田拓夢
まず初めに三年間支えてくれた保護者方々、指導者の方々本当にありがとうございました。この三年間で辛い事や楽しい事をサッカー部のみんなのおかげで作ることができました。特に一年の頃はよく走ったことを覚えています。正直辛くてやめたいと思った時もありました。グラウンドではなんとかやり切ろうと必死だった気がします。でも自分はサッカーが好きだから続ける覚悟を決め三年間やり切る事ができました。

だが、自分の消極的な性格や弱い部分が出て上手くいかない時が多々ありました。担任でもあった渡辺先生には「サッカー部は楽しいか?」と聞かれる事が何度かありました。そして渡辺先生に拓夢の強みは継続的に行動する事ができる所と言われた記憶があります。走りの日でも休まず参加していると段々と走れるようになり継続的に続けた甲斐があったと実感する事ができました。

そして、二年になり今井さんにお世話になりました。今井さんには大沢総合グランドでとても怒られたことを覚えています。そこで自分の判断の遅さ、弱さを分からせてくれたのは今井さんのおかげだと思っています。
二年の途中から指導者が変わり野田さんや春山さんにお世話になりました。そこから少しずつリーグ戦に関わる事が多くなりました。春山さんは大学で忙しい中練習や試合にきてもらい自分に声かけてくれたりアドバイスをしてくれたりと感謝しています。

野田さんはチームが良くなるため、そしてAチームへ上げるために何度もヒントをくださっていたと思います。そして自分をAチームに推薦してくれていたことも知っています。自分は野田さんから14番という背番号をリーグ戦で何度ももらいました。野田さんが思う14番は独特でチームの裏エースだと自分は言われた記憶があります。最終的にはメンバー発表の時に「14番は言わなくてもわかるよね」と言われるようになり嬉しい気持ちになりました。少し前に野田さんに会った際には「次の14番は誰にしようかな」とおっしゃっていて今でも忘れられない背番号となっています。この部活で自分は一番野田さんにお世話になりました。

龍先生、最後まで自分にAチームへのチャンスをくれてありがとうございました。期待を裏切ってしまった形になってしまいました。龍先生と話した時、「お前はいつかやらかすと思った。」と言われた記憶があります。確かにあの時はなにも考えずに行動していたと思います。でもそれがあったからこそ最後の方は、考えてから行動するようになったのだと思います。たらればになってしまうがもっと早く考える癖をつけていればもっと成長できたのかもしれないと思ってしまいます。サッカーの部分では関わることが少なかったけれどサッカー以外での人間性の部分でとても学ぶ事が多く感謝しています。

そして、後輩には後悔はしてほしくないです。後悔してからでは遅いです。チームのことを一番に思い先のことを考えてそれが本当にふさわしいか想像してから行動してほしいです。そしてチームとして、選手としてもっと成長してほしいです。これからも頑張ってください。

家族へ、十八年間育ててくれてありがとうございました。朝早くからお弁当を作ってくれてありがとうございました。最後は残念な結果で終わってしまったけれど自分は今までのサッカー人生に悔いはないです。家族のおかげで本気でサッカーと向き合う事ができました。そして家族の支えがあったからこそ今までサッカーを続けてこられたと思います。
これからもたくさん迷惑をかけると思いますがよろしくお願いします。

最後に三年生のみんなたくさんの思い出を
ありがとう。このメンバーとサッカーができてよかったです。
三年間ありがとうございました。

 

ハル3

山城 暖

高校3年間の生活の全てがサッカー部でした。
自分が入学した時サッカー部の説明会には80人近くの人が来ていてみんな敵を見るような目でこっちもみてきてここから戦いが始まるんだなという気持ちで入部しました。最初の走りで半分以上が辞めていく中で自分は走りがとても苦手だけどサッカーを好きな気持ちは誰にも負けないという気持ちだけで走っていました。1年生チームが始まり最初はセンターバックをやっていて紅白戦の時にゆうすけさんに「ボランチやってみないか?」と言われそこから初めてボランチをやったのがターニングポイントだと思います。1年生の頃はひろととダブルボランチを組んでいて試合もうまく行きすごく楽しく、このままうまくいくのだと思っていました。

しかし3年生が卒業し新チームが始まりA.B分けの時運良くAチームに入ったもののひろとはすぐに一個上の代でスタメンになっていました。そこですごく悔しい気持ちと大きく開いてしまった差ですごく焦りを感じていて、練習や試合でチームメイトにも関わらず厳しい口調で指示を出したり、1人でよくいらだってしまっていました。龍先生に何度か相談しに行きそこで龍先生に「はるは試合の後半になると集中力が切れたりイラついたりして落ち着いてプレーできていない」と言われ、どうすれば改善できるかを考え、まずA1になるという大きな目標よりもA2で中心選手になるという小さな目標をクリアしようと思いました。

A2は技術やフィジカルはA1には劣るもののA1には絶対負けない、絶対にベンチ入りするという強い気持ちを持った人の集まりだったのでミーティングの際に意見をぶつけたり練習の合間によく話し合っていました。地区2部が始まり試合は勝てるものの失点をしてしまう試合が多くそこをどうするかが課題になりました。全員で守備をする個で勝てないなら複数で対応するようになりA1相手にも少しはやれるようになりました。そこで声かけの大事さや話し合うことの大切さを学べました。そして地区2部は無事優勝することができ自分の中ではジン君がいてくれたのはすごく大きな存在でした。

3年生になり、すごく期待を抱いていましたが始まって早々に怪我をしてしまい、そこでチームはすごくうまくいっていて自分はスタメンでは出れないのではないかと考える日々でした。怪我開け新人戦などは自分はサイドバックをやっていてサイドバックは視野が広くあり自分の対人能力も活かせるところでサイドバックでいいと思っていました。しかしよしきが怪我をしてしまいボランチをやることになり久しぶりのボランチでわからないことだらけで苦労していました。しかしよしきが嫌な顔ひとつせずアドバイスをくれたりチームをサポートしてくれていたのでよしきの分もという気持ちで練習していました。Tリーグは引き分けがおおくあり攻撃陣は点を取ってくれるが失点が重なり引き分けになってしまっていたので守備でチームに貢献しようと思いました。そこでヘディングやボランチでの対人の守備声掛けなどを練習中に意識して連取試合で試し試行錯誤の毎日を繰り返していました。

選手権前になり3年生の集大成となるところで自分はまたも怪我をしてしまいました。半分選手権は諦めていました。3年生で3回も怪我をするし、なんで今なんだと思いました。選手権は自分で納得いく結果ではなかった。

t4最終戦の明星戦はすごく楽しかったです。みんなの目の色が変わり本気で勝ちに行く、作戦もはまり3年間で1番楽しい試合でした。最後に部員全員で喜んだのは一生の思い出です。長いようで短い3年間でした。携わってくださった、龍先生、なべさん、今井さん、ゆうすけさん、野田さん、春山さん、えのきさん、そして保護者の皆様ありがとうございました。
後輩へ
どんなの時も楽しんでください、怪我しててもスタメンじゃなくてもやることはあるしサッカーは楽しくやるスポーツです。T3初戦楽しみにしています。目指せ!ベスト4!!
お母さんへ
3年間おんなでひとつでここまで育ててくれてありがとう、怪我した時とか落ち込んでる時に励ましてくれてすごい支えになりました。
お母さんのおかげでここまでサッカーを続けることができたと思う。
ありがと!

 

ヒロキ3

中島 大翔

初めに昭和第一学園サッカー部に関わる全ての方々に3年間ありがとうございました。

自分がこの3年間で伝えたいことが3つあります。

一つ目は「感謝」です。まず、いつも身近にサポートし続けてくれたマネージャー、いつも自分たちが最高の環境でサッカーができたのは裏でやりたくもないことをやってくれていたからだと思います。ありがとう。

次に保護者の皆様、いつも選手のことを第一に考え、サポートする、そして試合に駆けつけ勝利を共に分かち合う。最高のサポーターでした。これからは自分たちが返していく番だと思っているので期待してください。

そして3年間共に戦った仲間へ、高校生活のほとんどをサッカー部のみんなと過ごしました。偶然に偶然が重なって出会った仲だけどサッカーを通して仲良くなれたこと、真剣に向き合い切磋琢磨できたこと一生忘れることのない、経験ができました。ありがとう。

最後に龍先生をはじめとするスタッフ達です。

ゆうすけさんへ、一年生で右も左もわからない自分たちがここまで立派な選手に成長することができたのは初めにゆうすけさんのサッカーを通しての人間教育の土台があったからだと思います。個人としては技術もなく声にしか取り柄がない自分を評価し、試合に使ってくれたことそして長所を伸ばしてくれたから結果的に部長を務め、スタートで出れる選手にまで成長することができたと思います。3年間ありがとうございました。

野田さん、春山さんへ、お二人は昭和第一学園の卒業生ということもあり、選手と指導者という枠から外れ、身近に寄り添ってくれました。困っているときは選手であった時の経験から様々なサポートをしてくださいました。自分が最後まで部長をやり遂げることができたのはお二人の力があったからだと思っています。3年間ありがとうございました。

川越さんへ、主にWTやアジリティー、ケアという体に関する面でサポートしてくれました。自分が筋肉に目覚めてからのWTはとっても楽しかったです。最近川越さんってすごかったんだということが多々あります。自分は今町田市のサッカークラブやスクールでコーチをしています。そこで練習前に教えてもらったアジリティーなどを使っています。なぜこんなにも正確に教えられているんだろうと疑問に思った時に、自分がやっているだけでなく川越さんが本質的に教えてくれたから成り立っているんだなと感じたからです。これからも色々教えてください。3年間ありがとうございました。

なべさんへ自分が2年生の時に担任を守ってくれました。初めはサッカー部の顧問が担任で少し嫌な気持ちでしたがなべさんは顧問としてではなく担任として自分を見守ってくれてとても温かかったです。進路で迷っている時に様々なアプローチをしてくれたことかけがえのない財産になりました。また、なべさんとはまだまだ色々な思い出があります。文化祭、修学旅行、ラーメンに連れて行ってくれたこと、どれも最高に楽しかったです。今度は大きくなって成長した姿で帰ってきます!3年間ありがとうございました。

最後に龍先生へ、正直この3年間の感謝をどうやって文字で表せばいいのかわからなくなるほどにお世話になりました。そんな中でも一番感謝していることは自分を部長にしてくれたことです。チームの中で埋もれかけていた自分に役割を与えてくれたことが成長に大きくつながったと思っています。3年間ありがとうございました。

 

二つ目が「経験」です。主に自分が部長をやってきて感じたことを後輩のみんなに伝えたいと思います。サッカー部に入部した時の自分は責任感が強い子、声が出せる子、サッカーは下手。こんな感じでした。それでもゆうすけさんに評価されて試合に出てAB分けでAチームに入ることができました。Aチームでは先輩がいて勇逸の武器である声が出ない、なのにサッカーが下手、状況は最悪で自分の存在価値を探し求め、完全に落ち切っていました。そして2年生の2月4日龍先生から部長を任せられました。長い間存在価値を探していた自分が久しぶりに評価されとても嬉しかったのを今でも覚えています。ですがきついのはここからでした。なぜなら部長になったからといって何も変わらないからです。また自分が何をしたらいいのかがわからなくなりました。そこで自分は初めから自分の思うままにやるのではなく、2個上の部長たかとくん。1個上の部長ふくたろうくん。の真似から始めました。そこで初めて自分に足りないものが見つかった気がします。それは、言葉と行動が見合っていないことです。自分はここでサッカー面が1年生の頃から何も成長していないことに気づきました。そしてチームに対する声かけや指示、責任感を持って生活することを続けながらWTの種目で誰にも負けない部分を作る、走りで上位に入る、ヘディングは負けない。といった他人と差別化できる武器を増やしていきました。ここで自分の話や指示がチームに浸透しやすくなったと感じました。ここで分かったことは人は他人を結果を出すだけのことをしてきたかどうかで評価していると言うことです。チームに関われない、活躍できない、そんな人はまず初めに誰にも負けない部分を1つ作るのがいいと思います。そして言葉と行動が一致した自分は少しずつ試合に関わることができ最終的にスタートで出れるところまで成長できました。

長くなりましたが何を伝えたいかと言うと、①何かを始める時はまず誰かの真似をすることから始め、骨を作る。そこから自分の色を肉付けしていけばいい。②人は結果が伴って初めて人にものが言えるということ。です!最後に次の部長だいごへ何すればいいかわからなくなったら参考になるかわからないけど自分の真似から始めてみて欲しい。なにか行き詰まったら相談して欲しい俺にできることがあればなんでもするよ。これから先辛いことばかりで逃げ出したくなることが多くなると思うけど最後に「部長はだいごで良かった」と仲間に言われる日が来る必ず来る。いや、やれば来る!その日はだいごにとって忘れることのない1日になると思う。俺はTリーグ昇格戦がその日だったんだ、全てが報われた気がしたんだ。その日まで頑張れ!前部長、中島大翔

 

三つ目は「思い出」です。T3昇格戦の終わりのホイッスルがなった瞬間、選手権の終わりのホイッスルがなった瞬間今でも最高の思い出です。ここまで最高に楽しめたのはキャプテンのひろと、副キャプテンのなつきこの2人がいたからだと思います。最高のキャプテンひろとへ、ひろととは2人でこの昭和第一学園の二台巨頭を築き、チームに対して死ぬほど悩んだね。龍先生からキャプテンと部長はお前達じゃなくてもいいのかもねって言われときはだいぶくらったね。ひろとがサッカーのことを俺が生活面を2人でやってきたからこそ今までの結果が出たと思う。そしてT3まで連れてきてくれたとこ本当に感謝してる、3年間ありがとう。副キャプテンなつきへ、なつは相棒だよ最高に狂った代でまとめるのが大変だったけどいつも近くで寄り添ってサポートしてくれて助かった。なつがいてくれたから部長をやり遂げれたと思う。本当に感謝してる。3年間ありがとう。これからもよろしく。

再度3年間昭和第一学園サッカー部の関係者の方々、3年間ありがとうございました。

 

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水俣 夏樹

3年間支えてくださった保護者、指導者の方々ありがとうございました。

自分はありがたいことにほとんどずっと上のカテゴリーで試合に関わってきました。1年のとき、コンフィアーレ町田との初めての練習試合でゆうすけさんから左サイドバックやってみてと言われました。その時、ボランチにはヒロトとハルがいてこの2人からはポジションは奪えないと思っていたこともあり、言われた通りやってみました。その日は思ったより上手くいき、このまま左サイドバックでやっていこうかと思っていました。でも実践学園BとのKOGで圧倒的な力の差と自分の非力さを痛感しました。それからサイドバックが怖くなりました。それからはボランチを中心にいろんなポジションをやることが増えました。

2年になり、初めての公式戦。堀越Bとの順位決定戦でセンターバックで出ました。その試合ではミキトくんやヒロト、リョウセイくんなど多くの人から支えられ、ラストはショーマのおかげで勝つことができました。

その後もAチームに関わる中で色々な人に支えられてきました。インターハイ決勝では延長から出た自分がPK戦で2番目に蹴って外し、4-5で負けました。その試合のあと、3年生は自分を責めるのではなく、蹴らなかった3年生を責め、自分には蹴っただけすごいよなど優しい声をかけてくれました。T4第6節の府中東戦。左サイドバックで出た自分は対人で抜かれ失点。それからいろんな人と対人の練習をしました。あんまり強くなった実感は湧かなかったけど、前よりはほんの少しだけ、ほんっっとに少しだけ自信を持てるようにはなりました。成功は自信につながります。でもその成功は挑戦をしなきゃ得られない。挑戦は怖い。でも支えてくれる仲間、指導者がいる。いろんなことに挑戦して、失敗して、支えられて、もう一度挑戦して、成功して、次は自分が人を支えて、これができる人が1番強くて楽しくてかっこいいと思います。自分は最後まで挑戦し続けることはできなかったけど、すぐ近くに今も挑戦し続けている人がいます。そいつのこと1番尊敬しているし、1番近くで支えてやりたいと思っています。後輩たちには挑戦し続けてほしいです。

自分が3年間サッカー部を続けてこれたのはいろんな人の支えがあったからです。その中でも3人。欠かせない人がいます。

渡辺先生(なべさん)
ここはなべさんでいかせてください。
1年生で担任だったなべさん。1年生から自分のことを信頼してくれて、いろんなことを自分に頼ってくださったり、勉強面も部活面もいつも気にかけてくださるなべさん。1年生のときなべさんが担任じゃなかったら、あんな成績取れてないと思います。部活のせいにして勉強なんかサボってたと思います。でも、なべさんが自分に期待してくれていたから、応えたくて、自分も文武両道に力を入れることができました。3年になってからも進路と部活が重なってあたふたしている時に、自分が「人に興味がある」と言っただけで進路を薦めて頂いたり、そこからの志望理由や面接練習でいろんな考え方ができるようになったのは間違いなくなべさんのおかげです。20周ですれ違うたびに頑張れと声をかけてくれるあの優しい笑顔はいつまでも忘れません。本当に3年間ありがとうございました。

ゆうすけさん
ゆうすけさんが1年のとき、自分をサイドバックで使っていただいたからこそ、自分はいろんな経験をすることができました。あのとき、ゆうすけさんが自分をサイドバックで使っていなかったら、実践にボコされることもなかったし、府中東戦で実践を思い出すような失点をすることもありませんでした。自分とヒロキをリーダーとして呼んでいただいた時やKOGでの昭和高校戦で3人でメンバーを決めた時はこれからの責任感をすごく感じました。この経験が自分を成長させてくれました。ゆうすけさんは会うといつも優しく声をかけてくださり、紅白戦を見に行くと隣に座らせて頂いたり、話しかけにいくとサッカーの話を深く話して頂いたり、ゆうすけさんと話すたびにサッカーに対する興味も好意もより一層深まっていきました。調布北戦で金的にボールが当たって真っ青な自分を見て冷静に判断してくださったこともいい思い出です。サッカーの知識・IQ、シュートセンス、ボールコントロールなににおいても尊敬でしかありません。将来、教員になってサッカー部の顧問になりたいと思っているので、いろいろ教えてください。あと帝京の近くのおふろの王様行くので会ったら無視しないでください!3年間ありがとうございました。

ヒロキ
最高の相棒。と俺は思ってる。ほんとにしんどかった。やめたいとも思った。でもお前がいてくれたから続けられた。ゆうすけさんからリーダーとして2人で呼ばれたときから頼りになるやつと思ってた。普段はバカだけどよく考えるタイプ。やるべきことは最後までやり遂げるし、一切妥協しない。筋トレも走りも準備も。なんか最後の方シャトラン気持ちいいとか言ってたのはキモかったけど、でもそんなお前がほんとにかっこいいと思う。調子いい時と悪い時の差があって、調子悪いとボロクソ言われて、メンタル不安定になって、サイドバック争い激しくなっていって、スタメン勝ち取って、進路入ってきて、提出書類とか小論、面接いろいろ重なってまた不安定になって、それでも諦めないで、ラスト明星戦フル出場に1アシスト。かっこよすぎる。ほんと尊敬する。お世辞でもなんでもない。ほんと尊敬。お前がいてくれたからほんとに楽しかった。3年間ありがとう。これからもよろしく。
後輩たち
とくに副キャプテンになる人。
ショウだけに頼らない。俺は一応副キャプテンやってたけど肩書きだけでなにもしてない。ずっとヒロトに頼ってた。その証拠にヒロトから途中で受け取ったキャプテンマークをつけた3試合で1回も勝ってない。大成戦、ラスト5分のとこで失点して0-1。日大鶴ヶ丘戦、延長まで続いて1-3。日大豊山戦、これも延長まで続いて2-5。新人戦、インハイ、選手権ぜんぶ俺が途中でキャプテンマークをもらって負けた。ほんとに悔しかった。だから同じ失敗をしてほしくない。ヒロトは1個上の試合でつったことはなかった。自分の代になってからプレッシャーがあったのか、つるようになった。でもこれは俺がヒロトにばっか背負わせたからだと思う。ショウもこうなる可能性はなくはない。だから、ショウだけに頼るのは絶対にやめた方がいい。ショウも1人で抱え込まないでダイゴもワダチもいっぱい頼った方がいい。龍先生も相談だと優しく嬉しそうに聞いてくれる。抱え込むのが自分にとってもチームにとっても1番ダメなことだからいっぱい吐き出せ!T 3頑張れ!!!!!
走れない先輩からの一言
90分間試合に出たかったら走れた方がいいよ。

最後に龍先生
中学から期待していただいていたことほんとに光栄です。ありがとうございます。ほんとに自分は気分屋だったと思います。難しかったと思います。そんな僕を使い続けてくださりありがとうございます。正直期待には応えられていないと思います。すみません。でも、自分のわがままを3年間受け止めていただいたこと、本当に感謝しています。自分たちの代は反発が多かった代だと思いますが、それを受け取ってしっかりと話し合いの場を設けてくださったりしてくれた龍先生の器の大きさが昇格に導いてくれたと思います。本当に3年間ありがとうございました。

 

ソラ4

山本 空宙

まず初めに応援してくださった保護者の方々サッカー教えてくださった指導者の方々三年間ありがとうございました。
自分はこの三年間比べられることが多かったです。それは自分をとても強くしてくれたと思います。一つ上には最強のゴールキーパーがいて新チーム始まる前とか始まった時とかにみんなから去年のゴールキーパーだったらあのシュートはキャッチできてた、もっといいキックを蹴ってたなど去年のキーパーと比べられてました。でもそれは自分の性格上良かったのかもしれません。

自分はとにかく一個上の先輩と比べられるのが嫌でした。正直めちゃくちゃうざかったです。先輩が上手いのはすごい知ってるし今試合に出てるのは自分だから自分を見て欲しいと思ってました。だから比べてる奴らをびっくりさせるようなキーパーになってもう自分と先輩を比べるような発言なくしてやると思い毎日毎日練習をしていました。最初はやはり上手く行きませんでした。ハイボールで得点されたりして去年先輩と比べられることが多かったです。でもそこからハイボールが苦手だから指導者の方々の力を借りてどうしたらいいかとかアドバイスをもらったりしたり身長が低いからジャンプ力を鍛えればいいんだと思い高いボールでも対応できるジャンプ力を鍛えたり自分の苦手な部分でもしっかり戦えるようしようと準備しました。毎日毎日の積み重ねはやはり裏切りませんでした。

転機となったのは大森学園戦でしたあの日は間違いなく最高のパフォーマンスを出せました。試合が終わるとみんなが自分に向かってそらナイス、お前のおかげで勝てたなど言ってくれました。去年先輩たちが負けた相手ってこともあってこの言葉はとても嬉しかったです。そこからみんなは自分を認めてくれて先輩と比べることはなくなりそらがいるから大丈夫など言ってくれたりしてくれるようになりました。きつい相手でもまた自分のセーブでみんなを勝たせたいと思いより一層サッカーが好きになりました。

でも自分は最後の選手権みんなを勝たせてやれなくてとても悔しいです。日大豊山戦間違いなく大森学園戦よりもきつい時間が多かったです。そんな試合で自分が大森学園戦みたいにもっと止めてればチームは勝てたのだと思います。ここだけが後悔です。日大豊山の後の昇格戦の明星学園戦自分は活躍できて勝利に貢献できたので良かったです。結局この部活で努力することの大切さ何かを継続し続けることの大切さ自分の短所をどう伸ばすかという大切さを学びました。これらはこの先社会に出ても大切なことだと思うのでこのことを自分の心の中に常に留めておこうと思います。最後にお世話になった指導者の方々後輩三年生にメッセージを送って終わります。

健生さん

健生さんとするGKトレーニングはとても楽しかったです。健生さんはいろんな球種を蹴ってくるのでとても止めるのが大変でした笑。でもいろんな球種を蹴ってくれることで試合でもシュートを打たれても対応できました。そのおかげ自分はシュートストップが上手くなったと思います。身長のない自分にキッカー目線のことやアドバイスをくれたりしてくれて本当に助かりました。短い間でしたが本当にありがとうございました。

祐介さん

祐介さんとするシュート対決はとても楽しかったです。祐介さんのトレーニングの日いつも今日は絶対祐介さんのシュートを止めまくって勝ってやると思いながら練習に挑んでいました。でも祐介さんはやっぱりシュートが上手くて結局たくさん決められます。まだ自分は勝ったことがないのでまたシュート対決したいです。またビルドアップのことだったりいろいろなことのアドバイスをしてもらったおかげで最初よりも上手くなれたと思います。短い間でしたが本当にありがとうございました。

川越さん

体のケアのことだったり筋トレについてのことだったりいろいろなことを教えていただきありがとうございました。
自分がシャトルランを走れるようになりたいから無理やり言ってメニューを組んでくれたりジャンプ力を伸ばしたいからと言ってメニューを組んでくれたりとても助かりました。
川越さんが教えてくれたメニューは効果はとてもでました。自分がすごい活躍できた大森学園戦は川越さんから教えてもらったジャンプトレーニングの成果がもろに出た試合だとおもっています。自分も将来川越さんみたいなトレーナーになりたいと思っています。なので川越さんにトレーナーのことについて聞きたいと思っているので今度会った時に聞かせてください。短い間でしたが本当にありがとうございました。

荒巻さん

自分にキーパーを教えてくれてありがとうございました。間違いなく荒巻さんが教えにきてくれてからGKスキルが格段に上がったと思っています。
荒巻さんのトレーニングはとても楽しくて毎日やりたいくらいでした。荒巻さんと練習したすぎて龍先生に荒巻さんのトレーニングを増やしてくださいと頼んだこともあります。練習していくうちにみるみる上手くなっていくのが実感できるほどトレーニングの効果が試合に出てTリーグなど活躍することができました。
荒巻さんがもし教えに来てくれなかったら自分は活躍できなかったし最後のシーズンは成長できなかったと思います。本当にありがとうございました。これからは府ロクでお世話になると思うのでこれからもよろしくお願いします。

春山さん

春山さんは一年生の時から関わっていたんじゃないかってくらい一緒にいたって感じがします笑
年が近くどの指導者よりも話やすくてBチームの時にビルドアップについて教えてもらったのを覚えています。その教えてもらったビルドアップは間違いなく成果が出たと思います。自分はビルドアップがとても苦手だったので本当に感謝しています。春山さんのおかげで視野が広がってコーチングも良くなったと思っています。本当にありがとうございました。

今井さん

今井さんは自分が本当に初期のBチーム時代にお世話になりました。自分が今井さんに言われて今でも意識してることがあります。それは1.01倍の法則です。毎日少しでもいいからやり続けていればそれはだんだん積み重なって大きくなっていくということを話をされてからすごい1.01倍の法則の話の内容が心に刺さりこの言葉が自分の中で欠かせない言葉になっていきました。この言葉は何度も自分を救ってくれた言葉だと思います。きつい練習でもこの言葉を思い出して前よりもきっと成長してるとポジティブに受け止められてきつい練習を乗り切れられたりしていました。他にも今井さんは挨拶の大切さ、時間をきっちりと守るということ、報告、連絡、相談、荷物の管理などサッカー以外の人として大切なことなどをたくさんのことを学びました。
三年生になって今井さんがなかなか部活に顔を出さなくなってしまって本当に残念です。それでも会った時は話してくれたりたまに部活にきてくれたりして本当に嬉しかったです。今井さんが選手権前日にLINEで応援のメッセージをくれたことはすごい嬉しかったです。この今井さんから教わった1.01倍の法則や時間のことなどのことはこの先も自分に言い聞かせようと思っています。短い間でしたが本当にありがとうございました。

渡辺先生

まず一年の時と三年の時の担任ありがとうございました。本当に渡辺先生が担任で良かったと思ってます。一年の時初めて先生と会った時は正直少し怖かったです笑。でも話して見ればとても優しくとても面白い先生でした。先生はとても褒めてくれるので勉強嫌いな自分がいい点取った時もめちゃくちゃ褒めてくれるので次も頑張ろうという気持ちになれたりしてそこから成績も上がってきて本当に一年生最初の先生が渡辺先生でよかったなと思います。それだけではなくサッカー部の渡辺先生にはサッカーの技術というよりも人としてのことなどたくさん学びました。渡辺先生の話し方は他の人の話より引きつけられるような話し方で聞いててとても面白い話ばかりだったし一つ一つの言葉が自分の心に刺さるものばかりでした。
ニ年生になって渡辺先生が担任じゃなくなってしまいましたが渡辺先生のおかげでニ年生の時の成績はグングン上がりました。
三年生になって渡辺先生が担任って書いてあった紙を見てとても嬉しかったです。
自分の親にも渡辺先生が担任になったというぐらいでした。
進路のことで結構悩んでいましたが渡辺先生はしっかりと向き合ってくれて本当に助かりました。いつもいつも大変なのに生徒のために必死に向き合ってくれる先生をみてとてもかっこいいと思っていました。先生は自分の憧れの人で尊敬しています。最後が渡辺先生で本当に良かったです。短い間本当にありがとうございました。

野田さん

野田さんにはめちゃくちゃ感謝してます。
自分にGKの楽しさを教えてくださったことやサッカーにのめり込ませてくれたことなど野田さんにはいろいろなことに感謝してます。野田さんと初めて会ったのは一年生のGKトレーニングで最初はとても厳しい人だと思っていました。
でも実際そんな人ではなかったです。
とても教え方が上手くてとても面白い人でした。野田さんは週に数回しか来なくて自分はもっと野田さんのトレーニングを受けたいと思っていました。でも2年生になって野田さんがBチームの監督をするという話を聞いてとても嬉しかったです。練習中も試合中も野田さんがいるので不安なことがあったり違和感があったら直接質問できてすぐに修正できたので自分としては最高でした。そのおかげで自分は長所であるセービングを伸ばすことができたりキックが上手くなったり
ポジションニングが良くなったりとして地区リーグでも実力を発揮できました。
また地区リーグで負けなしで自信がついてたこともあって新チームになっても自信を持ってプレーできました。間違いなく自分を成長させてくれた過程を作ってくれたのは野田さんがいたからだと思っています。他の指導者のおかげでもありますが自分を一番に成長させてくれたのは自分は野田さんがいたからだと思っています。自分もGKコーチやりたいと思っているので野田さんみたいにわかりやすく教えられるようになりたいです。
三年間ありがとうございました。

龍先生

こんな自分を一年間スタートに使ってくださり本当にありがとうございました。
自分が調子が悪い時でもどんな時でも信じて自分を使ってくださったおかげで少しは上手くなれたし、何事においても自信がつくようになりました。
自分は正直この結果には満足してません。
新人戦、インターハイ、選手権でベスト8という舞台に立ちたかったです。
自分はリーグを昇格させるよりそっちの方が正直取りたかったっていう気持ちが強いです。勿論昇格はとても嬉しいことです。今でも動画を見返すたびに鳥肌が立つくらい嬉しいです。でも正直龍先生と仲間と夢のベスト8という舞台に立ちたかったです。この夢は今でも諦めきれません。まだ龍先生と夢のベスト8に行くという夢を叶えたいと思っています。
自分は選手としてはベスト8に行けないですが指導者としてだったらまだベスト8に行けると思っています。自分がベスト8を叶えられなかった夢を自分が育てたGKに託したいと思っています。だからダメ押しのお願いです。自分をGKコーチとして受け入れてくれたら本当にありがたいです。大学の授業の関係で最初は全くサッカー部に関われないかもしれません。でも昭和第一学園のGKコーチはいつかはやりたいです。龍先生ともう一度あのベスト8という夢を目指したいです。自分はGKコーチをやりたいと思っているので大学生になったら荒巻さんが教えている府ロクでGKコーチをやる予定です。GK知識などをそこで深めていこうと思っています。
最後に龍先生に質問です。
自分はこの一年どうでしたか?少しでも去年の最強のキーパーに近づけたと思いますか?歴代でもやれていた方だと思いますか?サッカーノートに歴代最強になるとという目標を一年生の時から掲げてました。その目標はどこまで行けたか龍先生から聞きたいです。
三年間ありがとうございます。

GKたちへ

今いるゴールキーパーたちに言いたいのは単純に言い訳をしないこと。「俺の身長じゃ届かない」「今のコースは無理だ」「あんな近い距離ノーチャンスじゃん」とかもしかしたらこんなふうに思ったことがある人もいるかもしれない。
そのようなことを思ってる時点で自分で成長を止めてると思うよ。必ずそのような場面を作る原因があるし絶対止めれないシュートなんてないと自分は思ってるから。自分は170センチでとても小柄だけどチームを勝たせる試合は何度かあったと思う。結局自分の努力次第だからまだまだ時間があるからそれは荒巻さん、野田さん健生さんに聞くといいと思う。めちゃくちゃ応援してるよ。
あと辛い時があったりしたら「GK家族」という言葉を思い出してほしい。必ずこの言葉が自分を救ってくれると思うからね。

後輩たちへ

T3はものすごい過酷な戦いになると思うけど頑張ってほしい。T3にいるチームはどこも名の知れた強豪揃いで大変かも知れないけど頑張って残留してほしい。この先昭和第一学園がもっと強くなるにはこのリーグは維持しないといけないと思う。昇格させた自分たちより大変かも知れない。後輩たちなら絶対残留できると思う信じてるよ。自分たちが行けなかったベスト8託したよ。
あとはキーパーのせいで失点や失点などに絡むことがあってもキーパーを責めないでほしい。ミスした本人が一番焦ってるしさらに仲間から言われるともっと焦るし落ち着けなくなっちゃうからね。キーパーがミスした時はドンマイとか大丈夫とか声をかけてほしいな。そうしたらあいつら落ち着いてプレーできると思うからさ。まぁめちゃくちゃ大変なシーズンになると思うけど頑張ってください。

三年生へ

こんなわがままな自分を受け入れてくれて本当にありがとう。みんなとやるサッカーはとても楽しくて毎日最高だった。
本当にみんなと出会えて良かった。
これからもよろしく。

長くなりましたが本当にこの昭和第一学園サッカー部に入部できたことを誇りに思います。三年間ありがとうござました。

 

コウ2

小嶋 航

自分は2年の頃はBチームでAチームに関われてはいませんでした。2年の時はBチームだったからなのかわかりませんが練習に真面目に取り組まず練習があるのにも関わらず簡単な理由で休んでしまった時も正直ありました。その結果Bチームでも試合に出してもらえず練習態度などが原因でAチームにも上がれませんでした。今考えると自分勝手で全く周りのことを考えてないと思います。
3年になりAチームにはなれたものの自分の代は前線の選手層が厚くみんなそれぞれの武器があり自分にはなくて試合に出れるか焦りを感じていました。そこで自分の武器を作るために自主練などでトラップやドリブルの練習などをして武器を作りました。武器を作ってから公式戦にもほとんどの試合に出れるようになりスタメンでも出してもらうことが出来ました。2年の時にもっと早く焦りを感じ武器を作って居ればもっと早くAチームに関われてたかもと思い今後悔していまいます。1、2年生に伝えたいことは継続させることを大切にしてほしいです。
途中でやめてしまったりすると最後の最後で後悔することになります。みんなには後悔してほしくないので継続することを頑張ってください。次に龍先生やサッカー部のコーチの方々にです。自分はこのサッカー部に入って入る前時よりは自分で考えて行動できたり周りのことを考えれるようになりましたしサッカー面でもサッカーを面白く感じることが出来ました。ありがとうございました。
両親へ今までのサッカー人生を1番近くで支えてくれてありがとうございました。
そして3年生みんなへ
みんなのおかげで3年間のサッカーがめちゃくちゃ楽しかったです。こんな自分だったけど一緒にサッカーしてくれてありがとう。みんながいなかったら絶対楽しいと思えなかったと思います。
みんな本当にありがとう。ほんとに感謝しかないです。

 

シュン1

横川 駿

まず指導者の方々、保護者の方々、チームメイト、親には感謝しかありません。ありがとうございました。私は、昭和第一学園のサッカー部を通して人は切っ掛けさえあれば変われるのだと学びました。それを思えたのも実体験があるからなのですが、私は切っ掛けがあったからこそ腐っていたサッカー人生の最後にいい夢が見れたのだと思います。変わる切っ掛けなんてなんでもいいのです。例えば、今年の運勢が一番いいとか指導者または先生に褒められたからでもいいと思います。もしくは、好きな人といい感じだからでもいいと思います。こうしたように切っ掛けは些細なことでいいと思います。それを、どれだけ気分を上げる材料にするのか、どうやって実行に移せるのかが鍵になってくると思います。ただこれらをしたところで継続しなければ、自信につながるだろうが結果には結びつけられません。そのため、私が一番変わるためにして欲しいことは継続です。よく「継続は力なり」ということわざがあると思うのですが、それは間違いないと思います。仮にサッカーで話をすると、ボールを触っていないとボールの感覚が鈍る、筋トレをしないと持てた重量が持てなくなる、走らないと体力が落ちると言ったように継続しないことでどれだけの力を失うのかは計り知れません。こう言ったように、継続ができる奴が成功し継続ができない奴が失敗、いや落ちるのだと思います。もう私はサッカー人生が終わっているが、1、2年生はまだ続いています。ならこれを読んだ人の中で、変わりたいと思うなら何か切っ掛けがあったならそれを実行に移し、継続させて欲しい。挫けそうになっても嫌なことがあっても周りに流されずに継続をして欲しい、必ずその努力は報われる日が来るから継続を怠らない事が自分が変わる1番の近道だと、私は知っています。

龍先生並びに指導者の皆様私に指導してくださり本当に感謝しています。ありがとうございました。

まず龍先生には少しながらではありますが目をかけてもらえてとても嬉しかったです。龍先生には男気やチームへの想い、さらに数々の言葉をもらいました。その中でも龍先生に言われた、この言葉がとても心に残っています「靴は自分を運んでくれる船だ」の言葉です。この言葉は靴はどこにいくにも何をするにも必要なのだから大切に扱えという意味です。これを聞いて物一つ一つに必要性があるのだと気付かされ、部活の道具や私物を大切に扱う事を覚えました。ありがとうございました。

次に野田さんは、最後まで私を信じて試合に出させてくれてありがとうございました。A2が全員3年生になり、野田さんが付いてくれたところから一勝もできずに終わってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。ですが野田さんには、公式戦に出るとは何たるかを学びました。公式戦に選ばれた人選ばれなかった人で、サッカーをしていたら2つに分けられます。そこで私は、選ばれたのにも関わらず諦めてしまった場面があり、野田さんに色々言われ、私が出てる試合は誰かが出たくても出れない試合なんだと考えさせられました。これを思ったその日から諦め悪く行こうと思い、日々頑張ることができました。ありがとうございました。

次に春山さんは、年が近いのもあり、野田さんや龍先生に言われてよくわからないことや試合で動きがわからなくなった時などに聞きやすく、聞いてくださりありがとうございました。春山さんは弱音を吐いた時に、それを肯定するのでも否定するのでもなく、一緒になって解決方法を考えてくれて、指導者の中でも非常に近い感じで話せて、めげずにサッカーを終わらせることができました。ありがとうございました。

次に川越さんは、人から聞いた話なのですが、自分が変わろうと思い変わり始めの時に最近1番変わってるの誰ですか。という問いに駿が人が変わったように頑張ってると言ってくれたことが本当に嬉しく、私が変わるための活力に非常に助けてもらいました。ありがとうございました。

最後に渡辺先生は、まず2年間担任になってくださりありがとうございました。さらに、どうしようもない私を最後まで寄り添いそばにいてくださり非常に感謝しています。ありがとうございました。私は、1年生の頃の世界史の授業で渡辺先生と初めて出会い、授業の合間の話や授業の進め方が非常に楽しかったです。そのため、中学では嫌いだった歴史が好きになりました。さらに、やればやるほど点数を取れることに気づき、勉強が好きになっていきました。本当にありがとうございました。10年後にまた会いにいきます。

次に後輩たちです。私はAB分けの時に最初Bにいたのですが、少ししてAに上がりました。そのため、長い時間を共にしたA 2のみんなに言いたことを、伝えたいことを言おうと思います。まずは、少しながらA2のキャプテンをした際についてきてくれてありがとう。すごい嫌々でやったけど、なんだかんだついてきてくれて嬉しかった。A2のみんなは、俺をどう思っているのかな、少なくとも俺はかなり好きだった。そんな奴らに一言言うのなら、強くなれ。この強くなれは2つの意味があり、1つは身体的な強さです。A2のみんなは全体的に体が小さく、筋肉量が少なく思える。だから当たり負けしない体を作ってみてはどうかと思う。もう1つは精神的な強さです。Raiz Chofu FCが相手の試合で1-8で負けた試合がある。その試合の1点取り返した時の盛り上がり方は本当にすごかった、点差があるのにも関わらず「勝てる」という単語が出てきた時は驚いた。こいつらとなら勝てるのかもしれないと思った。でもすぐに点も取られ、さっきまでの威勢がどこにいったのってぐらい気持ち的に負け、その後3点ぐらい取られて負けてしまった。だからみんなには何点取られてもどんだけ荒くてもどんだけ相手が強くても気持ちで負けては勝てる試合も勝てないと思うから、精神的にも強くなって欲しい。どちらも俺ができなかったことだから、それをお前らに託したいと思う。

最後にお母さん。まず、12年間サッカーを続けさせてくれてありがとう。感謝しても仕切れないほど色々な物を手に入れました。まずは、礼儀です。私的には小学生の頃から礼儀がなっているとは思っていたのですが、中学高校になり、どれだけ礼儀ができていなかったのかを知れました。今となっては立派なもんじゃないですか?誇れるんじゃないですか?まだまだだとは思いますがかなり成長できました。ありがとうございました。お母さんにはいつも弁当つくってくれて、さらにサッカーのために色々してくれて本当にありがとうございました。いつもいつも仕事お疲れ様。これからはお姉ちゃん一人暮らししちゃうし男1人だから俺がお母さんを助けます。任せてください。お母さんは優しくて尊敬できて本当に好きです。告白です。お母さんが俺のお母さんで本当によかった。ありがとう。神様に感謝です。帰りが遅くなっても疲れてるのにご飯用意してくれたり、帰りを案じて起きててくれたり、疲れてるのにありがとうございました。本当にお母さんが俺を産んでくれて、お母さんが親で嬉しいです。ありがとうございます。本当に3年間ありがとう。

 

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諸川 雄大

まず、ありがとうございました。たくさん迷惑かけて本当にすみませんでした。

みんなは毎日練習に出ていて当たり前のことかもしれないけど自分はできなかったです。この部活を通して努力は大切なことだとわかりました。自分はずっとBだったからわかるけど練習を久々に来た時にみんなの練習に対しての気持ちが自分と全然違くて驚きました。自分はサッカーがうまければいいと思っていたけど全然違くてサッカー外のことも大切なことを知りました。正直なんでこいつAなんだろうと思うことが多々あったんですけど、上手い以外にも色々な魅力があることに気づきました。これから社会出る時も同じ場面は絶対に出くわすと思うから昭和第一学園サッカー部で学んだことを必ず思い出して頑張りたいと思います。やっぱりサッカー楽しかったです。そして最後の試合決めれて気持ちよかったです。