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橋口福多朗
明海大学 外国語学部日本語学科 (スポーツ推薦)

この代の部長を務めました橋口福多朗です。
初めに、監督の龍先生をはじめとする指導者、先生の方々、お世話になった期間はそれぞれですが本当にお世話になりました。そしてありがとうございました。

振り返ってみると高校サッカーは僕にとって「反骨心」であり、「夢を叶えるための自分のあり方」を見つける事ができたものでした。簡単に言えばこうなります。

もし仮に僕が、ずっとAチームの不動のスタメンであったら、間違いなく今の自分はいないです。100%。
言い残す事がない様にとの事なので、すごい偉そうに正直な事言わせてください。このチームは超表面上だけのチームだったと僕は思います。僕も含めてです。でも明らかに違かった事として、例えばタバコ吸う奴はいれば、謎すぎる理由でブルーカード貰う奴、練習前にアイス食べたり炭酸飲んでる奴、ラントレサボる奴がいる。ろくにミーティングが進まない。だけど龍先生が来ると人がガラッと変わって静かになって、真面目になるんです。そんなのどう考えてもベスト8無理でしょってずっとお母さんに家で言っていました。誰が聞いても無理でしょってなりますよね。そんな人が試合に普通に出てるのが正直僕には納得なんてできる訳ないです。けど部長の僕が言い掛けても響かなかったその悔しさはいまだに感じてます。なんであの時もっと言ってやれなかったんだろうって。だけどエリート達を倒してベスト8に行きたい、プロになりたい。でも試合に出れないのは自分が「下手」だから。それだけです。分かってます。だからとにかく上手くなりたいの一心で僕は走りまくって、ボール蹴っていると、二度高校では大きな怪我をしてしまいます。ほんまに自分アホなんかなって毎日自分を責めていた日々が1ヶ月くらい続いてた時もありました。離脱中に、龍先生の口から新たな戦術ワードが飛び出して、みんなはピッチで実践する中で僕は聞いて、見る事しかできませんでした。復帰した1週間後には大学のセレクションも控えていたので焦りもありましたし、まじで悔しくてもうやばかったですあの時は。けどこれを機に改めて自分に真摯に向き合うようになるキッカケを与えてくれたし、周りに左右されないと言う事。自分の軸を曲げないということ。つまりこの3年間は「悔しさ」という感情をバネのようにエネルギーに変える「反骨心」が芽生えて、成長する、の繰り返しでした。この過程が僕を強くしているという実感は間違いなくありました。

このような経験を通して、「自分に打ち勝つ」ことがどれだけ大切な事かを学びました。自分のライバルである選手の調子がいいとか、お前にプロは無理だとか。だから何だと。龍先生に大学のセレクションを受けたい3校を伝えた時、「お前にはレベルが高い。でも受けてみる価値はある。」と言われ、他の大学を紹介された事があります。間違いないです、超レベルが高い事は分かってました。きっと僕なんか受からないと思ってた人もいたと思います。伝わってます。なんか感じてました。けど夢を実現する為には絶対に挑戦しなきゃ何も始まらないので、そう言われた時はなんか凄い悔しかった。絶対に受かって全員を見返してやろうと思ってました。これまで話した様にサッカー人生でいろんな壁にぶち当たってきた事で自信にも繋がっていたのでこれまでの経験から「俺ならできる」と言い聞かせる事ができる自分になりました。目標は頑張れば絶対叶う訳ではないけど、挑戦をやめてしまったら目標は絶対叶わないと言う事。常に自分の目標に対して、自分と向き合って毎日毎日挑戦しつづける事が夢を叶えるために今やるべき事なのではないかなと言う信念?のようなものを得る事ができたと僕は思っています。
1、2年生はまだ同じ仲間達とベスト8に向けて挑戦ができる訳で、本当に東京トップの高校と対して差はないし、絶対に無いって今僕が身を持って言えます。みんなもきっと感じてるはず。どっかでキッカケがあるかもしれない。その瞬間のために一人一人絶対に可能性はあるって事を信じてやり続けて欲しいです。差を埋めるには日頃自分の弱さと向き合って成長してく以外方法がないと思うし、それは僕も今夢を叶えるためにやり続けないと行けない事だと思っています。その上で、それぞれの挑戦を応援してくれている周りの人への感謝は怠ってはいけない事だと思います。みんなは「昭和第一サッカー部」という名前を背負って戦うと思うけど、僕もその名前を背負い続け、その責任と共にこの先のサッカー人生を進む事になります。目指すものは違くても、上に進み続ける事には変わりがないので、お互い誇りや責任をもって上を目指そう。この先何か部活の事でなんかあったらなんでも相談乗ります。いつでも連絡してください。
最後に、家族全員に伝えたい事として、毎日が修行だと思って、壮大な夢と覚悟を持って大学でサッカーをするから、夢を叶えるためにも、引き続き応援してください。18年間育ててくれてありがとう。あと4年間、恩返しをするために離れた地で挑戦させてください。絶対プロになって帰ります。

 

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長井 慶伍

東京成徳大学経営学部経営学科(指定校推薦)

初めに龍先生を初めとする指導者の方々、そして応援してくださった保護者の方々三年間本当にありがとうございました。

私は最初Bチームで今すぐにでもAチームに行きたいと思いつつプレーは上手くいかない事ばかりで試合にも関わることが出来ませんでした。最初の入れ替えでは上がる事は出来なかったのですがセンターバックの選手が上がったのでたまたまそのポジションに入りそこから試合に関われるようになりました。それにより、少し自信が持てるようになり、その後の入れ替えでAチームに入る事が出来たのですが、ついて行く事がやっとですぐにBチームに落ちてしまうと思っていました。なので、すべてにおいて全力で当たって砕けろの精神でプレーすると決めてミスをしてしまってもすぐに切り替えてプレーをしました。それにより最後までAチームとして居れたのは誇らしく思っています。また私は最初で最後の冬合宿で大きく変わる事が出来たと感じています。合宿で強みを見つける事が出来たのが大きく変わるきっかけになったのではないかと思います。チームもより団結力が高まってすごく濃い合宿になり大きく変わりました。
私達はコロナの影響で始まりも遅く、思うよに練習が出来ない期間が多くあり様々な制限もかけられた中だったので時間がもの凄く大切だと感じました。チームでの練習が止まると一人一人での自主練習は出来る事が限られるので、苦の時間で勿体無い時間だったと感じます。なのでチームの練習は大切なので当たり前に出来ているチームの練習を後輩達には大切にして欲しいと思います。

龍先生
すごく使いづらかった私に多くのチャンスを作ってくださりありがとうございました。その期待に応えられなかったのは私の実力不足です。
コロナで部活が止まりそうになった時どうにかしてでも私達にサッカーを出来る環境を作ってくださり本当にありがとうございます。
今井さん
国分寺高校と試合をした時に「上手くなったな」と言われとても嬉しく今でも覚えています。いつでも優しくそして厳しいそんな今井さんの練習はどの練習も分かりやすく楽しい練習ばかりでした。短い間でしたがありがとうございました。
裕介さん
裕介さんの言葉にはとても刺さって一言一言すごく重みを感じていました。練習もすぐに実践で活かせる練習ばかりですごく楽しかったです。短い期間でしたがありがとうございました。
川越さん
川越さんのzoomトレーニング、ウエイトは毎回筋肉痛になるぐらい大変で、でもそのおかげで筋肉も付き相手に負けない身体作りが出来ました。三年間様々な部分でサポートしてくださり本当にありがとうございました。
春山さん
年齢も近く話しやすくて春山さんからの視点でプレーについて話してくれる時は毎回腑に落ちる事ばかりでした。短い期間でしたがありがとうございました。

三年間全力でやってこれたのはずっと支えてくれた両親のおかげです。朝早く起きて作ってくれる毎日のお弁当、小学校から続けてきたサッカーを今まで続けさせてくれて本当にありがとうございます。これからたくさん迷惑をかけてしまうかもしれませんがこれからもよろしくお願いします。

後輩へ
私はみんなにマイケルジョーダンの言葉を贈ります。「Don’t be afraid to fail.Be afraid not to try.」失敗することを恐れるな。挑戦しないことを恐れろ。あの時こうすれば良かったなどの後悔は後輩達にはして欲しくないです。なので失敗することを恐れず様々なことに挑戦して欲しいです。そしてあっという間に過ぎてしまう時間を大切にしてください。今の代はベスト8以上目指せる代だと思っています。いい結果を聞けることを楽しみに待ってます。

最後にみんなと一緒にサッカーが出来て良かった。正直みんなが居なければここまで続けられなかったかもしれないし自主練習も積極的に参加しなかったかもしれません。だからみんなには本当に感謝しています。自主練習の時ずっと一対一をやったり、駄目だった所言い合ったり、みんながみんなの事を思っている所とか私は本当に周りに恵まれたと感じます。みんなのお陰でこんなにも充実してもの凄く濃い三年間を過ごす事が出来ました。そしてすごく成長させてくれました。感謝してもしきれません。本当にありがとう。

三年間ありがとうございました。

 

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髙橋 遼星
東京電機大学 理工学部(指定校)

3年間支えてくれた保護者、指導者の皆様ありがとうございました。
自分は走りや筋トレ、サッカー面でついていけない事が多くあり不安でした。GKトレーニングや自主練で自分のできる事を増やせるようにし、その結果少しずつサッカーを楽しめるようになっていました。
土曜日は練習前に自主練したりしたけれど自主練でかなり動いてしまい普段の練習がいつもの倍以上疲れるなど後のことを考えずに動いていたことが多かったことに反省しています。
野田さんやたけおさんのGKトレーニングでは自分のわからないことを教えてもらえたり、どうしたら良くなるかなど教えていただきありがとうござました。また部活動だけでなく片倉でのGKトレーニングなど多くの練習の機会を用意していただきありがとうございます。
指導者の皆様へ
初めの頃は正直怒られたりするのが怖いからという理由で行動する事が多かったけれど自分のプレーをどうしたら良いかなどを伝えてくれたり自分の背中を押してくれてありがとうございました。部活動で学んだことを大学に入ってからも活かしていきたいとおもいます。
3年間ありがとうございました。

 

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中坂 政睦
日本文化大学 法学部 (指定校推薦)

まずはお父さん お母さん 、小学2年生から今まで何不自由なくサッカーを出来る環境を作ってくれて本当にありがとうございました。
そして色々な指導者や関係者の方、仲間のおかげで私のサッカー人生で1番充実し、人間的にも成長した3年間でした。
私が2年の時、先輩の選手権などで活躍し自分の代ではスタメンが当たり前だと思っていました。チームの連携や基礎の技術をあまり気にせず、自分がやりたいプレーだけを追求していました。3年になるとパスミスやドリブルすると孤立するという悪い部分が試合によく出るようになってしまい、選手権前からベンチメンバーになる機会が増えてしまいました。
悪い部分を分かっていながらも素直になれず変えられなかった自分にとても後悔を抱いています。
それでも、少しでも期待して指導をしてくれた龍先生には感謝しかありません。ありがとうございました。この経験を経て私は、視野を広げ何事にも献身的になるという事を学びました。
リョウとユウヒへ
この2人は特に部活や日常生活でも一緒にいることが多く、何だかんだ世話になった友人であり、良い刺激をくれたプレイヤーだと思ってます。ありがとう、そしてこれからもよろしくな。他の仲間たちも感謝を伝えたい気持ちはありますがめちゃくちゃ長くなると思うので直接伝えられたらと思います笑。最高な仲間たちと出会い、高校サッカーが出来て本当によかったです。
後輩へ
現役の時はオフがなくて気分が下がったり、勉強との両立も大変だと思います。しかし、こんな自分でも引退してみると、何だかんだサッカーが恋しかったり、後悔した事が多々あります。なので、皆にはあと1年もない短い期間の高校サッカーを全力で取り組んでほしいです。何事も楽しく本気でやった奴が最後のステージに立つことを心の片隅に置いといてほしいです。あんまりこういうことを言うタイプじゃないので少しイタいと思いますが、許してください。
あと「~に捧げる1.2.3!!シャー!!」というフレーズは後輩へと受け継いでって下さい笑

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根田 大杜
帝京平成大学 経営学部 総合型

3年間ありがとうございました。
自分達が入学してきた時は、コロナで学校に行くこともできなくて入学するのが2ヶ月くらい遅くなって部活が始まった最初の頃は全く走れませんでした。練習も走ってばっかで面白くなかった時もあっていきたくない時もあったけどあの時休まずに走っていてよかったと思いました。龍先生にもっと体重を増やして体をでかくしろと言われた時にもっと筋トレをしてご飯を食べとけばよかったと思いました。2年生の時はずっとBチームにいて、Aチームに行きたいとは思っていたけど自分の思うようなプレーができなかったりして少し諦めていたこともありました。3年生になった時に龍先生に褒めてもらったりして最終的にAチームに上がることができて、みんなとサッカーができてとても楽しかったです。
自分は3年間でとても多くのことを学ぶことができました。まずこの部活に入る前までは自分に必要ないと思ったことはやらないことが多かったり、面倒くさいことは後回しにしたりしていたけどこの部活に入ってからは、自分が試合に出ていない時は試合に出てる人に試合の途中や試合が終わった後に直した方が良いところや、よかったところを伝えたりして、他の人のプレーが良くなるように伝えていました。
また今井さんに何かをする時は予測して準備しろと言われていたのでそのことを考えながら行動しているとうまく行くことが多かったです。
ここまで色々な人に支えられて、3年間このチームでサッカーができて本当に良かったです。
3年間ありがとうございました。

 

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太田 藍斗
桜美林大学BM学群(指定校)

自分が大切だと思ったことは自分がやりたい事をやることだと思った。人の言うことばっかり聞いてたら絶対に言い訳しちゃうと思うし、そういう環境に自分を置かない方がいいと思う。自分は元々SBをやっていてサッカーが楽しくなかったし、ずっとFWをやりたいと思っていた。2年生の終わりまでコーチ陣に伝える事ができなかった。結局反対されたけどやりたい事だったから試合に出れなくてもいいって言ってFWをやらせてもらった。けどFWをやってからシュートを打つのが超楽しくてSBでは走れなかったのにFWでは疲れてても走る気になってサッカーが楽しくなった。
もっと早く伝えてFWを経験してたらもうちょっと成長出来たかなとか逆に伝えれてなかったらサッカーやってたのかなとか考えたりする。でもやりたい事だけやればいい訳じゃないって事も学んだ。筋トレだったり走りだったりめんどくさいから積極的に取り組む事はしなかった。これはやりたくない事で終わらせてたけど自分の為にやるべき事だったんだって気づいた。

自信あるって思ってたらしいですけど正直試合には出れる気してなかったしチームに合わせて動くよりも自分で考えて動いてた時の方が結果を残せてたりしてたので悔いはめっちゃあります。点取れなくて自信なくて悔しくてなにもできないで終わりました。けど数分しか出れなくてもA2のみんなとのサッカーは楽しかったです。

ありがとうございました。

 

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鎌田 遥己
神奈川工科大学情報学部情報工学科(指定校)

最初に3年生のみんな、指導者、保護者の方々、3年間ありがとうございました。
この3年間苦しいこと、楽しいことたくさんありました。いろんな経験していい思い出です。
自分にとって高校3年間は今までやってきたサッカーで1番楽しい時間だった。なにより環境に恵まれた3年間でもあった。自分は小学生、中学生で所属していたクラブチームでは同じ学年のGKは誰もいなくて1人で練習をしていたりフィールドに混ざって練習がほんとどでGKらしいことなんてやったことがなかった。だけど昭和第一に入ってみたら部員の数の多さにびっくりしたのもそうだけど、同じGKが4人もいたことがすごく嬉しかった。それに人工芝という素晴らしいピッチで毎日サッカーができたこと。
昭和第一の戦術はビルドアップが土台となっているけど、最初はビルドアップという言葉すら知らなかった。だから、その時は全然頭が追いつかなくて、ついていくので必死だった。一年生の最初の方はもちろん選ばれずにライジュが試合に出ててすごく悔しかった。そこで初めてチームスポーツってのをわかった気がした。この時から本気でサッカーに取り組み始めたと思う。
2年生になってソラとルキが入ってきて2人とも上手い選手だなぁと思った。特にソラは慣れ始めたらとにかく生意気だった笑。最初にキックを教えたらどんどん上手くなってパントキックなら昭和第一で1番上手いかもな。リョウセイにスタメンを取られたときは悔しかったけど、当然かなと思った。それくらい急成長してた。
最後はA2として活動していたけど、とにかく後輩の力が大きかった。個性的な奴らが多い世代な気もするけど。松浦のクロスの精度はGKとDFの間に入れてこれるくらい上手くて今まで見てきた中で1番、ハルはA2の心臓って言ってもいいくらいの選手、リンタのコンカのシュートは本当に上手い。もっと試合で打てるようになったら点取り屋になれるぞ。最後に地区2部優勝できて嬉しかった。昭和第一のFW陣はかなり優秀な選手が多いと思う。一個上は最強世代って言われてたけど、それに全然負けてない。自分が思うにユウヒ、リク、アイト、ショウマ、カワバタ、コウスケこの6人は強かった。フィジカルが強い、シュートが上手い、ドリブルが上手い、それぞれ自分の武器があるけどなによりFW2人が連携してプレスをかけるところだと思う。2人でコースを切りながらプレスされるとGKとしては焦るし周りが見えなくなるのでそのまま奪われることが何度もあった。だけどリョウセイ、ライジュがそれをかわしてるのを見て負けてられないと思い焦らないように周りをよくみるようにしたら落ち着いてプレーすることができてFWをかわせるようになった。ここが自分のターニングポイントだと思う。ここから落ち着いてプレーすることができ始めて、ビルドアップにも自信がついてきた。さらに龍先生にポジションニングについて細かく教えてもらったおかげで楽にプレーすることができた。それが最後のTリーグに繋がったんじゃないかと思います。
GKは試合で1人しか出られない。どんなに頑張っても2人は出ることができないポジションであり、練習からGKだけのことが多く他より関わってる時間が長いのでみんな仲がいい。だから「GK家族」という言葉あるんだと思う。ただ昭和第一のGKは我が強い奴ら多くて大変だった笑。それでも最後は誰が出ても文句なんてない。それを支えてくれた野田さん、たけおさんにはとても感謝しています。専門的な知識を教えてくれる練習はとても刺激的で楽しかったです。最後に自分の中で一番好きな言葉は
「GK家族」です。
改めて、みんなと過ごした時間は本当に楽しかった。
3年間ありがとうございました!

 

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細貝 幹人
東京経済大学(指定校推薦)
お世話になった指導者や応援してくれた保護者の方々、3年間ありがとうございました。高校生活で選手としても1人の人間としても一歩大人に近づけたと思ってます。

全指導者にとても感謝していますが特に感謝しているのは今井さんです。1.2年の頃は今井さんにずっと面倒見てもらってました。自分がDFとしていられていたのも今井さんが言ってくれたのがきっかけで、その一言がなかったら試合に出られていなかったかもしれません。選手との距離も近くてたまに一緒にボールを蹴るのだって新鮮で楽しかったです。3年間ありがとうございました。

両親
これまで育ててくれてありがとう。6年間毎日作ってくれたお弁当おいしかったよ。この高校生活支えてくれたおかげで最高の思い出になりました。いろいろ迷惑かけたし、これからもかけると思うけどまだまだよろしくお願いします。

後輩
一緒にサッカーしてくれてありがとう。2年生のみんながいたからこそ楽しめたと思うし、勝てたと思うよ。生意気なコウセイとかシュンスケとかいたけど、先輩後輩感がなくて友達感覚でいられたからよかった。ナツキとかヒロトとかヨシキとかカワバタとかこのままの勢いで活躍して欲しい。ヒロキもがんばれ。絶対いいところまで勝ち進んでください、勝ち進んでなくても最後の試合くらいは見にいくよ。短い時間だったけどありがとう。

 

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神部 龍之介
日本工学院八王子専門学校
テクノロジーカレッジ
一般選抜

まずは指導者の方々、応援してくださった保護者の方々3年間本当にありがとうございました。
振り返ってみると1年生の頃は最初コロナの影響で3ヶ月ぐらい部活ができず、あまり3年生のみんなと会えたりできませんでした。渡辺先生や祐介さんの練習は走りのメニューが多くて辞める人もいたけど自分は少しだけ体力の自信があったのでなんとか頑張ることができました。
自分は2年生の頃からBチームでプレーをして試合の時今井さんにはたくさん怒られたことを覚えています。でも今井さんのきつい練習や試合のおかげでリーグ戦では全勝をできたし、点を決めたりすることができました。今井さんには1番お世話になりました。
それから3年生になり、指導者も変わって野田さんや春山さんになって少し不安になることもありました。
試合が終わったあと野田さんに「FWをやった方がいいよ」と言われ、そこからリーグ戦でヒデと一緒にFWをやってみると点が決まり、Bチームにいると自分は成長できると思いました。春山さんも大学で忙しいのに練習や試合にきてもらったりして、プレーで分からなかった時はいつも相談してくれてとても感謝しています。テツ、リョウト、ソウタロウ、ヤナギがいなかったらBチームはまとまらなかったし、2年連続リーグ戦全勝できなかったと思うのでとても感謝しています。
龍先生には自分がAチームにいた時、Bチームにいた時と比べて上手くプレーができなくて落ち込んだし、モチベーションも上がらなかったです。でも龍先生は自分がダメだった所を分かりやすく説明してくれたり、良かったプレーは褒めてもらったりしてとても感謝しています。

後輩へ
1年生はあまり関われなかったけどまだ色々な成長ができると思うのでこれからも頑張ってください。
2年生はまだ上にいけると思うのでベスト8を目指して頑張ってください。

3年間本当にありがとうございました。

 

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関一樹
専門学校HAL東京 一般推薦

まず、試合などを見にきて応援してくれた
保護者の皆様、サッカーを1から教えてくれた指導者の皆様、3年間ありがとうございました。

1.2年生はこれから走りなどキツイことがあると思うけど最後までやり切ってほしいです。
リョウセイは最後まで走り切って1年生の頃は後ろの方にいたけど2年生の中盤辺から先頭を走ってました。あと、川越さんをもっと頼ってください。高校サッカーはフィジカルが必要になってくるのでLINEでトレーニングメニューを聞いたり活用した方がいいと思います。

最後に自分は3年間ボールの回転を意識してサッカーをしてきました。どんなに自分がキツイ状態でもパスは丁寧に縦回転で送ったりゴールキックの時もFWが競りやすくなるように綺麗なバック回転を意識してきました。
みんなにはあまり気づかれないけどそれを意識し始めただけでサッカーが少し楽しくなりました。みんなも何か1つ意識することで人生観は変わると思うのでぜひ1つでも極めるものを見つけてみてください。短い3年という期間チームとして一緒にいてくれてありがとうございました。

 

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平井 優駿

東京工科大学応用生物科学部
まずは、この昭和第一学園のサッカー部でみんなと汗水流し苦楽を共にできたことを嬉しく思っています。
正直、高校に入ったらサッカーをやめるつもりでいた自分が辞めずに部活を続けた理由は、自分でもわかってません。可能性があるとすれば単純にサッカーが好きなんだと思います。上手じゃないし、かといって強くもないそんな自分を「俺は辞めてない、中途半端じゃない」と言い聞かせてきたんだと思います。たくさんの挫折を経験しました。思い出すのも辛いくらい。でも常に自分のなかにあったものは「失敗は成功の準備運動」という言葉。不器用な自分は人以上に多くの失敗をしてきました。その度に失敗の理由を分析し改善して成功に繋げる努力をしてきました。これは皆がしていることであり、これをしなくては差ができていくばかりだと思っていました。だからこそ人以上に「頭」を使おうと思いました。自分が周りとの差を作るためには「言葉」と「頭」を使う必要があると考えたからです。この武器を手に入れてからは自分に自信を持つことができました。このサッカー部での三年間はそんな自分に少しでも自信の持てるそんなものでした。

後輩へ
きっと、上手くいっている人と、上手くいって無い人もいると思います。上手くいっている人は、なぜ上手くいっているのか考えてください。理由がわかった時にそれが自分の土台になり習慣になります。面倒なことだけどそれだけは続けた方がいいです。上手くいってない人は、目の前が真っ暗になって永遠に続くトンネルのなかにいる人もいると思います。そんなときは無理にでも自分のことだけは信じてあげてほしいです。それと辛いけどしっかり周りからの意見を真摯に受け止めてください。そうすれば出口が必ず見えてきます。これは自分の経験上、言いきれます。「人格は繰り返す行動の総計である。それゆえに優秀さは単発的な行動にあらず、習慣である。」という言葉のように周りから評価されることになります。これからも頑張ってください。

指導者の皆さんへ
こんな特徴の無い自分のことを指導していただきありがとうございました。
今井コーチは、Bチームのときに自分にあった戦い方を提案してくれたことをすごく覚えています。こんな自分でもどうやったら戦っていけるか見つけられた気がします。本当に感謝しています。
龍先生には、試合に使ってもらえたことに感謝しています。なぜリーグ戦に使ってもらえたりしたのか、正直今でも不思議です。でもそれなりに信頼してくれていたのだと思っているので結果的には嬉しかったです。自分がもっと大一番に使える選手であれば後輩たちに涙を流させるような結果にはならなかったのかなと最近は思います。でも、龍先生とのサッカーを心から楽しめたことはすごい財産です。本当にお世話になりました。

最後に3年生へ
ノリも悪いし、口も悪いし、人付き合いも悪い。そんな俺を仲間にしてくれてありがとう。みんなとの時間がめんどくさいと感じるときもあったし、必ずしも居心地の良い空間ではなかったけど、何だかんだ楽しい思い出しかなかったよ。みんなのこれからがすごく楽しみです。卒業しても仲間でいてください。自分から連絡するのは苦手なので連絡くれると嬉しいです。みんなに出会えた奇跡に感謝していこうと思ってる。
本当にありがとう!
そしてこれからもよろしく!

 

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平石 蒼太郎
日本文化大学法学部(総合型推薦)

私がこの部活で叩き込まれたこと。
人の信頼を得ることの難しさ、得た信頼を崩したら戻すのは得ることよりも難しいということ。
サッカーに対して全ての愛情を注ぐことでした。
私はこの部活の部員の誰よりも走れない選手です。なのに私は1年の最初のリーグ戦でスタメンで出れたのを今でも覚えています。その時の気持ちは本当に嬉しかったです。しかし、私はそこで得た信頼を裏切るようなプレーしかできませんでした。その結果、次のリーグ戦からはスタメンで出ることはできませんでした。その時の私の性格上すぐに投げやりになる性格でスタメンを取り戻そうとする気持ちは全くなかったです。そんな風に自分の嫌なことから逃げることを続けた結果最初のA.Bの選抜でBチームに行くことになりました。Bチームと決まった時は悔しかったですが、やはりその時の自分は投げやりになりBチームでも這いつくばってでも試合に出たいという気持ちは全くありませんでした。さらに、私は部活に「行きたい」という気持ちから「行かなきゃいけない」という気持ちに変わっていました。サッカーを好きでやらなくなってから私はタバコに手を出してしまいました。そして事件は起きました。
タバコを吸っていることが学校にバレてしまい、停学することになってしまいました。そして、サッカーと1ヶ月ほど離れた時に気づきました。自分にとってのサッカーは本当に大事なものだということです。サッカーがしたいという気持ちだけを龍先生に伝えると「そんなプレイヤーはいらない。部活に戻らなくていい。」と言われそこで私はまた投げやりになり諦めて辞めようとしました。龍先生にも「やめる。」と伝えました。しかし、仲間に「やめるな。」と言われた時に、私は仲間の信頼を裏切った申し訳なさと、もう一度あの芝生の上で成長したいと思い本気でプレーしようと決意しました。その時に今井さんに言われた言葉を今でも覚えています。「お前がどんなにサッカーしたくてもお前がプレーすることを嫌うやつが必ずいる。だから、お前はまず人のために動け。それが今一番お前がこのチームに認められるため、信頼を得るための最善策だ。」と。そして私は出来ることをすべてやり続けもう一度、昭和第一の芝の上でプレーすることを許されました。私はこの部活動に関わる全ての人に迷惑をかけ、信頼を裏切りました。失った信頼を全て取り戻したわけではないですが、私は信頼という言葉の意味の重みをこの部活で1番に理解してると自負しています。そして、サッカーと仲間だけに関わらず全てのことに愛情を持ち続けることの重要性も教わることができました。
この3年間でサッカーの技量の振り幅は1番小さいのかもしれないですが、人としての成長は1番大きい自信があります。この部活に入って、しっかり卒業できるとこを今後の人生に誇りを持っていけると思います。本当に3年間ありがとうございました。

龍先生へ
3年間ありがとうございました。そして、迷惑をかけてしまいすみませんでした。引退してから学校で会うと声をかけてくださったりなど部活の顧問と部員としてだけでなく学校の先生と生徒という関係値もしっかり構築していて本当に尊敬しかありません。また顔を出そうと思うのでその時はよろしくお願いします。
本当に3年間ありがとうございました。

今井さんへ
3年間ありがとうございました。今井さんとはコーチ陣で1番長く関わって、チームで1番怒られたと思います。しかし、そこには今井さんの愛情があり、サッカーに対してのものすごい愛情を感じました。迷惑をたくさんかけてすみませんでした。本当に3年間ありがとうございました。

ユウスケコーチへ
3年間ありがとうございました。1年生の時から良くしてもらって本当に嬉しかったです。私が怪我をしてユウスケコーチの練習に参加できなかった時に練習の合間にたくさん話してたくさん笑ったのを今でも覚えています。本当に楽しかったです。本当に3年間ありがとうございました。

川越さんへ
3年間ありがとうございました。マッサージやストレッチ、筋トレについて何から何まで丁寧に選手にあったものを教えている姿は本当にカッコよかったです。頑張って股関節柔らかくします。
本当に3年間ありがとうございました。

渡辺先生へ
3年間ありがとうございました。1年生の頃から親身になって声をかけてくださり本当に嬉しかったです。ありがとうございました。遠征の時は毎回帯同してくれて常にチームと一緒にいるのを見ていて本当にこのチームが好きなんだなと感じました。本当に3年間ありがとうございました。

野田コーチへ
短い間でしたがありがとうございました。キーパーのことを1から教えてくださりありがとうございます。わがままで適当な選手でしたが最後の試合使ってくださりありがとうございます。また顔を出すのでその時はまたよろしくお願いします。
本当にありがとうございました。

健生コーチへ
短い間でしたがありがとうございました。健生コーチとはキーパートレーニングから深く関わるようになり毎回楽しい練習やちょっとした息抜きが本当に楽しかったです。また練習参加させてください。本当にありがとうございました。

春山コーチへ
すごく短い間でしたがありがとうございました。
キーパーの練習を手伝ってくださったり、練習後の過ごし方などを教えてくださりありがとうございました。また色々教えてください。
本当にありがとうございました。

後輩達へ
俺らよりももっと高みに行くと思うし過去一の結果を残せると思うから本当に頑張って!龍先生がまだ見たことない高みにみんなで連れてってあげてね!応援してる!今までありがとうね!

母へ
これまで18年間本当に色々なことがありましたが、こんなバカな息子を1人でここまで育ててくださり本当にありがとうございました。タバコを吸って停学になったり、相談もせず部活を辞めると言ったりなど、破天荒な高校生活をずっと近くで支えてくれたこと本当に本当に恩義に感じでいます。受けた恩は簡単には返せるものではありませんし返せるとも思っていないぐらいたくさんの恩があります。必ず大きく成長して育ててよかったと思われるような息子になります。これからもたくさん迷惑をかけると思うし、たくさん悲しませると思いますが、その分はしっかりと倍にして返すので大きく羽ばたくその日までは甘えさせてください。本当に18年間ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。
愛してます。

長くなりましたがこれで終わりたいと思います。
本当に本当にありがとうございました。
大きく羽ばたくまで皆さん見守っててください。

 

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三井 凌
帝京大学 医療技術学部 (指定校推薦)

まずはじめにお世話になった方々へ感謝の気持ちを文章にしたいと思います。

龍先生、僕を試合に使い続けてくれてありがとうございました。僕はサッカーが上手くないです。それは龍先生にもずっと言われ続けて来たことであり、自分でも理解しています。それでも龍先生は自分のことを使い続けてくれました。どんなにプレーが悪くても、何度失敗しても。だから僕はサッカーを続けてきてこれたと思っています。失敗を恐れず色々なことに挑戦し続けた結果、サッカー選手として人間として、一回りも二回りも成長できたような気がしました。本当にありがとうございました。でもなぜ最後の監督からの言葉の写真があの写真なのだろうと思いました。この文章の写真は変えてほしいな、と思います。
渡辺先生、今井さん、野田さん、川越さん、春山さん、ゆうすけさん、たけおさんそれぞれの指導者に本当にお世話になりました。一人一人に思い出がありますが、ここでは書ききれないので、Tシャツに書きました。3年間ありがとうございました。

そして両親、毎日のようにお弁当を作ってくれたり
洗濯物を洗ってくれたり、一つ一つ挙げていくときりがないほど、色々なことをサポートしてくれたね。部活で疲れて機嫌が悪くなったり、わがままを言ったりして、大変だったと思うけど本当に感謝しています。この家に生まれてよかったと思うし、
もう一度選べるとしてもこの家に生まれたいです。普段は言えないけどいつも本当にありがとう。

僕がこの3年間、昭和第一学園サッカー部に所属して、この部活が自分にとってどういうものだったのか、またそこから何を得たのかを文章にしていきたいと思います。なので後輩には是非読んでほしいです。まずはじめに最初にも書いた通り、僕はサッカーがあまり上手くないです。恐らく僕よりうまい選手、ミスの少ない選手は、この部活にたくさんいます。そして龍先生からの卒業の言葉からもわかるようにこの3年間ボロクソ言われ続けました。正直今だから言えますが頭に来ることもありました。褒められた記憶は特にありません。高校に入り、人生で初めてサッカーを辞めたくなったりもしました。それでもどうにか自分の良さを見つけ唯一無二の選手になるためこの3年間何事にも全力で挑戦して来ました。
四月一日、龍先生に呼ばれ「この代のキャプテンをお前に任せたいと思う。一晩考えてからどうしたいか教えてほしい。」と言われました。
最初はあまり信じられませんでした。日にちも日にちだったので嘘なんじゃないかと思いました。それでも僕は迷いはしませんでした。自分の中でキャプテンをやりたいと思う気持ちが大きかったからです。不安も少しありましたが、ここまで共にチームを引っ張って来たショウタやショウエイ、そしてコウゲン。みんな僕にはない長所をもっています。みんなで長所を生かしつつ自分に足りないことを補ってもらおうと思いました。次の日僕は龍先生に「自分には足りないところがたくさんあるけど周りに手を貸してもらいながら頑張るのでこの代のキャプテンをやらせてください。」と言いにいきました。
ユウセイくんやリョウガくんのような技量や勝負強さもない。でも、絶対に負けないと言う気持ち、どんなに泥臭くてもボールに喰らいつく気持ち。これだけは歴代のどの選手にも負けない自信がありました。僕がキャプテンをやり続けてこれたのはチームの仲間や後輩、そして卒業した先輩、指導者の方達の支えがあったからだと思います。なかでも、完璧なキャプテンでは決してなかったのにも関わらず自分のことを認め、信頼してくれた仲間に一番感謝を伝えたいです。ありがとう。

1.2年生へ
サッカーをやっていると絶対にうまくいかないスランプの時期が来ます。それは個人で解決できるものもあればチーム全体の問題もあります。
僕はそのスランプに何度も陥りました。そんな僕が言えることは、仲間を頼り、仲間を信じることがどれだけ大切かということです。サッカーはチームスポーツです。一人ではできません。だからこそチームワークがどんなスポーツよりも必要だと僕は思います。ヒロトやナツキ、ハル、リョウタロウこれからもチームを引っ張っていく立場に立つと思います。そのなかでミーティングの時などにふざけている人がいるとこっちが馬鹿馬鹿しくなって来たり、チームがうまくいかない時だったり、自分のプレーがうまくいかない時だったりが出てくると思います。でもそんな時は一人で抱え込まず周りを頼ってみてください。自分が思っている以上に周りは真剣に相談に乗ってくれると思います。龍先生に相談してみるのもいいと思います。とにかくこれから先助け合いが大切になってくると思います。綺麗事のように聞こえるかもしれないですが騙されたと思ってぜひ実践してみてください。
そしてもう一つ言いたいことは目標を日常から口に出すことです。僕たちの代はベスト8を目標に毎日練習に励んでいましたが、目標とは程遠い場所で引退を迎えなければならなくなりました。それは毎日のようにベスト8に行くという言葉をあまり口に出して言っていなかったことが原因なのではと思います。もちろんそんな簡単な問題だけじゃないとはわかっていますが数ある原因の中の一つだと僕は思います。
言霊(コトダマ)は本当にあると思っています。みんなが口に出して強い気持ちを持って練習や一つ一つの試合に臨めばその目標に少しでも近づけるのではと思うのです。だから今の一、二年生には明確な目標を毎日のように口に出してほしいです。ハルやコウセイ、ナリ、ショウマ、持ち前の明るさでベスト8という言葉をできるだけ多く練習中や試合中、きつい時に声に出してみてください。そうすれば僕たちの叶えられなかったベスト8という夢に近づけると思います。大好きな後輩達だからこそベスト8に行ってほしいです。そして、行けると信じています。期待しているのでこれからも頑張ってください。応援しています。

3年生のみんなへ
頼りないキャプテンだったと思うけど最後までついて来てくれて本当にありがとう。僕がここまでやってこれたのは間違いなく仲間のおかげです。ショウタやフクタロウ、ジンやワタル、コウゲンやショウエイ幹部の人達には本当にお世話になりました。迷惑もかけました。でも最後まで信じてくれてありがとう。普段はあまり言えないけど本当に最後までみんなをリスペクトしていました。最後の終わり方はみんな満足いっていないと思うけど新人戦や初めてのT4での戦い、最初の最弱世代と言われていた頃に比べればチームとしてのまとまりが出て一人一人の個性が際立つ良いチームだったと僕は思います。だからこそもっと長くこのチームで試合をしたかったし、自分がいないところで引退してしまったのは今でも本当に悔しいです。
それでもこの最高の学年のキャプテンという大役を
任せられた事は最高の自慢です。本当に幸せなことでした。辛いことの方が多かったけど今思い返せばそれも含めて全ていい思い出です。またフットサルに行ったりご飯に行ったり定期的に集まりましょう。3年間ありがとう。みんなが大好きです。

まだまだ伝えたいことはあるけどキリがないのでこの辺で終わります。最後に自分に関わってくださった全ての指導者、そして両親、そして、仲間や後輩に最大級の感謝を伝えたいです。本当に3年間ありがとうございました。

 

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𠮷田 晃輔
帝京大学経済学部(総合型選抜)

自分がサッカーに対して向き合うことができたのは昭和第一のコーチ陣、仲間、保護者、環境のおかげです。ありがとうございました。
自分は昔からやっているという理由でなんとなく続けていたサッカーだったので、高校では楽しくやれれば良いいな程度の志で高校に入りました。サッカー部に入部する時、渡辺先生の中途半端な気持ちで入るな、走りは多いなどという厳しい言葉を聞きサッカー部に入るのをためらいましたが、他にやることはないという理由でサッカー部に入部しました。初めての15周走ではコロナなどの影響で運動をほとんどしていなかったこともあり32分台で順位は下から3番目くらいの遅さでした。そんな順位を見ても自分はあまり悔しさを感じず家で走り込みをすることもしませんでした。
AチームとBチームに分かれる時自分は当然Bチームでした。Aチームにはフィジカルが強かったり、走れたり、声が出せたりとなんらかの武器や特徴がある選手が選ばれていました。自分は走れない、フィジカルも弱い、声も出せませんでした。唯一、得意だと思っていたドリブルもマコトやフクタロウ、コウゲンの方が上手く、他の選手と張り合えるような武器は持っていなく全てが中途半端な選手でした。今井さんにも武器を見つけろと言われても他の選手より劣っているドリブルを自分の武器としていいのか分からないという思いから自分の武器は見つかりませんでした。そんな自分は、人一倍何かをすることもなくみんながやっていることと同じことをし、先輩の後ろを付いていくだけでほとんどサッカーをやらされているような状況でした。ですが、練習中コウゲンから「コウスケはボール持ったら上手いんだからもっとボールを受けろ」と言われました。自分よりドリブルが上手いと思っていたコウゲンからの言葉をきっかけに少しずつ自信を持てるようになり、練習中などのドリブルが上手くいくようになりました。そのことから自信を持つことは改めて大切だと実感しました。そのことと共に練習中は自分のことでいっぱいいっぱいになってしまうのに、他の人のことまで見てアドバイスできる心の余裕や広い視野を持っているのは凄いと思い、自分もそのような人になっていきたいと思いました。
その後、先輩たちは引退していき、お手本となるような人はいなくなり自分達が引っ張っていかないといけなくなった時、自分が他の人に依存していたことが分かりました。日常ではほとんど他人に頼っているし、サッカーでも1人で状況を変えることはできず、ほとんどが人数有利の状況を作ってプレーしていました。それではダメだと思い自分1人、自分中心でやっていこうと決めました。その意識を変えるだけで今までとは違い自分のしたいことができてサッカーが楽しく感じました。楽しくサッカーしている時は上手くいき、褒められることも多くなりもっとサッカーがしたい、もっと上手い人とサッカーがしたいと1、2年生の時とは違いやる気が生まれてきました。3年生になってから初めてのAチームに入りました。Aチームは今までとは違い、全員が向上心を持っていて熱量が高いことや初めて龍先生に練習を見てもらうことは心配でした。Aチームに入ってからは試合にも絡めずTリーグもベンチ外から見てサポートしていて、リョウやマコトなどのA1のメンバーと一緒に試合に出てる想像なんてできませんでした。ですが、練習の時はそんな上手い仲間と一緒にサッカーができるというのが楽しくA1で出たいという気持ちが強くなっていきました。少しずつ試合に絡めるようになり最後には選手権一回戦でスタメンになることができたことはとても嬉しかったです。そこまで来れたことは自分が1番びっくりしています。正直、1年生の時にサッカーノートの始めに書いたA1で試合に出るという目標は難しいと思っていたし、目の前のことにいっぱいになっていてA1のことなんてほとんど考えてなかったからです。自分で考えて行動してA1までの道を作れたことはサッカー部に入って成長したと思っています。
引退してから多くのことを考えます。まずは自分の特徴、武器はなんだったのかということです。自分はいろんなことが中途半端だったので、特徴が何かと分かっていませんでしたが、ポジティブに考えるとフィジカルが強いというの以外のことが満遍なくできるというのが特徴だったのかなと思いました。
次に後悔していることです。それは苦手なことから逃げ続けてきたということです。よく自分は仲間から筋肉、フィジカルがあればどんな選手になってたんだろうと言われます。その時に自分は筋肉がついたら今のドリブルやプレーが出来なくなっちゃうかもと言っていました。でもそれは今思うと嫌なことから逃げるための言い訳であって、筋トレや食事トレニーングやっておけばもっと早くにAチームに上がってTリーグの試合に絡むことができたり、もっとサッカーに対して向き合うことができたのではないかと後悔しています。そのような後悔がないようこれからは楽しいことばかりをやるのではなく苦手なことから目を背けず生活していきたいと思いました。

龍先生
1、2年生の時はたまにしか練習を見てもらうことはなく、すごく怖いイメージしかありませんでした。でも練習試合などを見てくださった後に褒めてくれたことはすごく嬉しく、その後の自信にもなりました。Aに上がった時、練習の雰囲気はどんな感じか不安だったけれど、楽しくやるところは楽しく、厳しいところは厳しくとメリハリがあってすごく練習が楽しかったです。Aチームとしてしっかりと龍先生に見てもらうことは半年間と短かったですがありがとうございました。

お父さんお母さん
三年間お弁当作ってくれてありがとうございました。他にも洗濯物やってくれたりといろいろなことを手伝ってくれてありがとうございます。これからは自分ができることは手伝っていきたいと思います。
14年間サッカーを続けさせてくれてありがとうございました。途中サッカーが楽しくないことあったけど最後は楽しかったからよかったです。これからも面倒かけると思うけどよろしくお願いします。

 

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濵田 頼寿
東京国際大学人間社会学部スポーツ科学科
(指定校推薦)

まず、初めにサッカー部に携わってくれた方々、指導者、家族、チームメイトに
感謝の気持ちを伝えたいです。
ありがとうございました。

この3年間を振り返ってみると、まず自分たちの代は入学が遅くて部活に入部するのも遅くて入部した後も部活が停止したり思うように大好きなサッカーができない期間が多かったです。また、自分は一年生の頃から怪我が多く腰を怪我したり、膝を怪我したり思うようにプレーできなく、辛い思いをした時期も多くありました。
しかし、その限られた時間の中で、チームメイトと一緒にサッカーをして、着替えながら話して、部活終わりにチームメイトとご飯行って最高に楽しかったです。

ここからは、感謝の気持ちを伝えていきたいです。

まず、渡辺先生。3年間お世話になりました。渡辺先生は自分のことを見かけた時、話しかけてくれて怪我の時もいつも心配してくれてサッカーの面から学校生活の面、進路の面まで面倒見てもらって本当に嬉しかったし、感謝してます。ありがとうございました。

今井さん。今井さんには主に2年生の頃にお世話になりました。当時はBチームで先輩たちがほとんどの中、自分を信じ
試合に出してくれてありがとうございました。その年には昇格できなかったけど今井さんと一緒にBチームで全勝優勝したこと
絶対忘れません。いつも気にかけてくれたり、自分を信じ続けてくれたこと本当に感謝しています。ありがとうございました。

ゆうすけさん。自分の出身がヴェルディ
アジュントで最初結構話しかけてくれたり、試合でも使ってくれたり
3年になって進路を決める時、「サッカーコーチのライセンスを取りたい」と言ったら色々教えてくれて嬉しかったし、
頑張ろうと思えました。ありがとうございました。

川越さん。いつも怪我の心配をしてくれてありがとうございました。怪我を早く治すために自分オリジナルのトレーニングメニューを作ってくれたり、ケアしてくれたり感謝してます。ありがとうございました。

春山コーチ。
春山コーチにはBチームの時に特にお世話になりました。怪我を心配してくれたり、サッカーについての相談に乗ってもらったり
進路について相談乗ってもらったり感謝しています。ありがとうございました。

野田さん。野田さんには最初キーパーコーチとして教えてもらってそのあとBチームのコーチとしてお世話になりました。
Bチームのコーチになってからもキーパー陣を気にしてくれて、的確なアドバイスをくれたり、自分がBチームの
ゲームキャプテンをやってた時、チームをこうしたい。と相談したら一緒に考えてくれたり、
「なんで自分を出さないんだ。」とぶつかった時もありましたが、それもいい思い出です。感謝してます。
ありがとうございました。

たけおさん。たけおさんは週に数回しか会わなかったですが、毎回楽しいGKトレーニングをやってくれてとても楽しくトレーニングできました。
また、たけおさんには進路の相談も色々乗ってもらってGKコーチライセンスをとるにはどうしたら良いのか?コーチになるためには何が大切なのか?
など、色々教えてもらいました。感謝してます。ありがとうございました。

龍先生。龍先生には感謝しきれないほど感謝しています。龍先生はどんな時も自分の味方になってくれて、自分は怪我が多かったのに見捨てずに
信じ続けてくれて本当に嬉しかったです。
その中でも龍先生が自分にかけてくれた忘れられない言葉があります。
それは、自分が膝の内側側副靱帯を損傷して龍先生にショートメッセージで報告した時にかけてもらった言葉で
「お前はチームに必要な男だよ。一緒に乗り越えよう。」自分はこの大怪我をした時、「もう、Aチームには上がれないな。」と思っていた中、龍先生がこのような言葉をかけてくれて本当に助けられたしリハビリ頑張って絶対復帰してやろうと思えました。怪我が完治していないのに「サッカーやりたいです。」と何度もわがままを言ってすいませんでした。
最終的には、Aチームに昇格させてもらって試合にも出させてもらってこんなに怪我が多いゴールキーパーだったのに信じ続けてくれて本当に嬉しかったです。あと、自分が自主的に行ってきたサッカーノートも龍先生との思い出です。試合の後と何か思った時にサッカーノートを書いてそれを提出してコメントもらう。二回しか提出できなかったけど龍先生の熱い言葉が書いてあって引退した今もよく読み返しています。
感謝しきれないほど感謝しています。
ありがとうございました。

家族。しっかりと感謝の気持ちを伝えたことがなかったのでここで伝えさせてもらいます。
まず初めにここまでの人生育ててくれて
ありがとうございました。
自分は今までのサッカー人生、本当に恵まれた環境でサッカーをやらせてもらったなと思っています。朝早い時も夜遅い時も起きてくれたり待っててくれたり。
スパイク、キーパーグローブ、サッカーに必要な物を買ってくれたり。
小学生の頃は3つもサッカーのスクールに
通わせてもらって、中学の頃はクラブチームに入れてもらって、
高校では、私立に入れてもらって。スペインにも2回も行かせてもらって、他の人がしたことないような経験も沢山させてもらって、今までの人生本当に恵まれた環境で
大好きなサッカーをさせてもらいました。
本当に感謝しています。ありがとう。
これからもたくさんお世話になると思いますがよろしくお願いします。

チームメイト、後輩。まず、チームメイト
3年間一緒にサッカーしてくれてありがとう。みんながいたから自分は頑張れた。
一緒にサッカーして、着替えながら話して、バス停でコーラ飲みながら話して、ご飯食べに行って。辛い時も、嬉しい時も、みんなと居て最高な毎日を送れました。
ありがとう。たまに集まってサッカーしたり、ご飯食べに行ったりしようね。本当にこのチームが大好きです。

後輩たちにも、たくさん迷惑かけたし、頼りない先輩だったと思うけど仲良くしてくれてありがとう。
これからも頑張ってください。

GK家族のみんなも一緒に練習してくれて
ありがとう。同じキーパーとして
めちゃめちゃ応援してるから
頑張ってね!

今まで関わってくれた方々、本当にお世話になりました。とても楽しい3年間でした。ありがとうございます!!

 

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小柳 悠太
日本体育大学児童スポーツ教育学部(総合型選抜)

自分たちが本格的に部活ができるようになったのは1年生の6月くらいからだった。
自分は自粛期間に何もしておらず、仮入部初日の15周走がとても辛くてほぼビリだった。仮入部の際に渡辺先生の教室に1年生が集められた。渡辺先生に「最後の引退試合で試合に出れるのは部員100人以上いるうちのたった11人だ、それでも入部する覚悟がある奴だけ、入部しろ」と「3年間必死こいてやれば自分を変えることができる」と言われた。走りがきつく自分についていけるのか、試合に出れるのかとサッカー部に入るかを悩んでいたくらいだった。そんな中、サッカー部に入部した。自分は入部してから2年生の冬までBチームで今井さんにBチームで指導してもらっていた。Bチームでなかなか身が入らずBチームで埋もれていた自分に今井さんは「本当にAチームにあがりたいのか、このままじゃ上がれないよ、上がったとしてもAチームで埋もれるよ」と現実を突きつけられた。ここで自分は本気でAチームにあがりたいと思い、Aチームで活躍したいと思った。20周でも、今までは28分以内に入ればいいやと思っていたがそれも変わり、だんだんタイムが速くなった。それでも3年生のそらくんとまさかずくんとなおくんに勝てなかった。自分の課題は守備の軽さとトランジッションの遅さでそれを補うには声を出して迫力を出すこととトランジッションを早くすることだった。そうすると、B3だった自分がB1に上がることができた。それでもなかなか試合に出れず、Bチームは地区3部全勝優勝を果たした。試合に1試合も出れず、とても悔しい思いをした。そんな中、3年生が引退し、新Aチームの冬合宿にBチームから5人いけることができ、その5人に選んでもらえた。ただ、Aチームは思っていたよりもBチームとスピード、フィジカル、技術の差があり合宿でも結果を残すことができなかった。しかし、合宿から帰ってきた後、Aチームに上がったのはひであきと自分だった。ひであきは合宿で結果を残してAチームに上がった。ひであきとは対照に自分はコーチングやトランジッションの遅さが治らなければ落選候補になる選手、Bチームに1番近い選手という形でAチームに上がることができた。Aチームに上がってからの20周やシャトルランでは妥協したくない自分がいて、28分以内に入ればいいやではなく前回のタイムより早く走ろうとか、シャトルランでは7本全部入ればいいやではなく1位に3回なれるように走ろうとか自分の中で目標を立てて走っていた 。そんな中で1番覚えているのが20周で福多朗と一緒ゴールして21分55秒で1位を取ったことだ。最初の15周までは自分が福多朗を引っ張る形で走っていたが、だんだんとペースが落ちてしまい福多朗に抜かされて離されそうになった時に福多朗が「柳、俺が引っ張るから最後まで走り切ろう」って言ってくれて最後まで走り切ることができた。最後にはゴール前で福多朗が待ってくれていて一緒にゴールした。これが3年間で1番早いタイムで、めっちゃ嬉しかったのを今でも鮮明に覚えている。
しかし、Aチームに行ってもなかなか馴染めず次の入れ替えでBチームに落ちてしまった。自分の実力不足を感じ、なんかこの時はサッカーが楽しくなかったような感じがした。Bチームに落ちて、自分が3年生になった4月に野田コーチの新Bチームが発足した。初めのキャプテンはみんなからの推薦で須崎がやってくれていたけどすぐAチームに上がってしまいBチームのキャプテンはいなくなった。いなくなってから日にちごとにリーダーを回すことになったがなかなかチームがまとまらず、野田コーチにそろそろキャプテン決めないといけないと思うんだけどと言われ、野田コーチが自分にキャプテンやらないかと提案された。本当に自分は去年のまさかずくんやなおくんみたいにチームをまとめられるのかと思っていた。初めは自分のことで精一杯でまわりが見えてなくグダグダだった。野田コーチや春山さんに相談に乗ってもらいアドバイスをもらったりもした。交代の声かけを忘れていたときに、リョウトとタクトに助けてもらったりもした。チームメイトの支えがあったから自分はBチームのキャプテンをやることができた。しかし同時にシンスプリントにもなってしまった。川越さんにマッサージをしてもらったりストレッチやケアの方法などを教えてもらった。引退まで治らず、試合前日のケアでコンプレフロスをしてもらってとても良くなった。そのおかげで試合も問題なくプレーすることができた。地区3部最終節は直接FKを決めた。最初は神部が蹴る予定だったが野田コーチに「柳が蹴ってみろ」と言われて蹴ったら右上角にゴールを決めることができた。14年間やってきてこんなに綺麗に直接FKを決めたのは初めてでとても嬉しかった。そしてBチームは2年連続地区3部全勝優勝を果たすことができた。地区3部優勝してから引退したい人と残りたい人とで意見が分かれた。テラスで意見を取った時には確か残りたい人2人、引退したい人1人で考え中の人は多数だった。自分は受験もあるしどうしようか悩んでいた。残れば自動的にAチームに上がれるが地区2部の試合に出れるわけではなかった。しかし地区2部の試合に出たい気持ちがあったので最後まで続けると決意した。
地区2部セレクションで勝ち残り穎明館戦のベンチメンバーに入ることができた。本当はもっと試合に出たかったが最後の5分だけ試合に出させてもらえた。試合に出させてもらう時にベンチで龍先生に「Bチームを代表してお前を出す、Bチーム全員の想いを背負ってプレーしてこい」って言われてめちゃくちゃ緊張してました。交代する時に本部で今井さんに「何緊張してんだよ、俺はお前がBチームでやってきたこと見てるし、お前の力全部出し切れば大丈夫だよ、一点取ってこい」って言ってくれて緊張が解けました。試合に出てからアイトとリクがハイプレスしてパスコースを規制してくれて自分がボールを奪取することができ、シュートを決めることができた。最後おいしいところ全部持って行ってすみませんでした笑

お母さんとお父さんへ
お弁当3年間作ってくれてありがとう。お母さんは地区3部と地区2部最終節に応援に来てくれて、どちらともゴールをプレゼントすることができてよかったです。自分が働いてて思うけどお金を稼ぐことってこんなにも大変なんだと改めてお父さんの偉大さがわかりました。普段は照れくさくて面と向かって言えないけどお父さんとお母さんの子に生まれてきて本当によかったです。自分に14年間サッカーを続けられる環境を作ってくれてありがとう。好きなことを好きなだけできる自分は幸せ者です。あと最低4年は面倒を掛けますがよろしくお願いします。

 

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土屋 祐太
JAPANサッカーカレッジ
サッカービジネス科         (AO入試)

指導者の方々、保護者の方々、3年生のみんな、3年間ありがとうございました。
サッカー部に入って2年間は公式戦に出場することもなくBチームでの練習の日々でサッカーをするのが嫌になるくらいでした。辞めたいと思った時もあったけど、練習に対する一人一人の熱量が高く最後まで一緒にサッカーをしたいと思い続けることが出来ました。
3年生になり、サポートメンバーとして入った試合ではありましたがA2の地区2部、Bチームの地区3部の試合に出場する機会をくれた龍先生、
野田さんありがとうございました。最高の思い出になりました。
自分にとってこの3年間は辛いことばっかりだったけど、ピッチ内外において人間的にも成長することができ昭和第一学園サッカー部として充実した高校生活を過ごすことが出来ました。
3年生のみんなとサッカーをすることが出来て良かったです。

改めて龍先生をはじめとする指導者の方々3年間お世話になりました。ありがとうございました。

新しい環境で、龍先生に良い結果を報告出来るよう頑張ります。