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東海林 勇希

先輩、後輩

自分は、高校3年間素晴らしい仲間、指導者に恵まれました。
自分が成長できた理由には、4人の先輩の存在が大きかったです。レイタ君、石陸、ジン君、みね君です。レイタ君はAチームにいた僕ら後輩に必要以上にウェイトについて力説してくれ、意識が変わりました。石陸と対面パスをしなければ、自分は、ポゼッションサッカーをしていた、自分たちの代では出れてなかったと思います。さらに、ピッチ外ではだる絡みをずっとされてきたけど、ピッチ内での振る舞いは、尊敬してました。じん君、みね君は、本当に感謝しきれません。その二人が2トップの、A1VSA2の紅白戦は、緊張感が、選手権よりも高いです。この二人と、何度もマッチアップできたおかげで、どんな相手、どんな状況にもビビらず、やりあえたと思っています。後輩には、シーナ、ゆうせいがいて、いいライバルが、上にも、下にも、タメにもいて、本当に恵まれていたと思います。
都大会に帯同していた後輩を中心に、絶対に8に行ってください。

指導者
指導者の方、特に、龍先生、今井さん、渡辺先生は、関わりが多かったです。
渡辺先生は、担任だったこともあり、選手権都大会と、入試が1日違いで対策もしていなかった自分が、慌てて訪ねてもとても丁寧に、部活のことを話しながら自分に時間を使ってくれたことは、本当に感謝していて、合否発表を一緒に見て、ガッツポーズをして喜んでくれたことは忘れられません。
今井さんとは、特に、1年の冬合宿が思い出深いです。あの時に、自分は、Aチームに上がれそうでしたが、肉離れをして、Bチームに残って波崎ユースカップを、最後まで戦えたことで、後に責任感が出ました。肉離れをしているのにも関わらず、診察所のようなところで診てもらい、休んだほうがいいといわれたが、最終戦で「大丈夫だー、でれるでしょ?」と言われ、テーピングをして、試合に出て、今井さんは信頼してくれてるのかなと思いました。Bチーム出身として、自分や、レオン、大磯は、Bチームだった人、試合に出れなかった人、会場に行けなかった人の気持ちをより背負って戦えたと思っているので、Bチームで過ごした時間はとても最高で、今井さんから、戦う姿勢を教わりました。
龍先生の言う言葉は胸に刺さります。今でも心に残っている言葉があります。
夏休みのきつい練習の時、グラウンドで、龍先生は、「お前ら、青春かけてサッカーしてるんだろ?他の奴らが、バイトや遊んでるときに、お前らは、きつい練習やってんだろ?そんな熱量でいいのか?8いきたいんだろ?」この言葉を言われた時から、自分の熱量は常に高くなったと思います。試合終盤に「しょうじ!切らすな!」と、何度叫ばれたことかわかりません。いつもモチベを上げさせられました。
他の高校に通って、素敵な指導者に出会っていなかったら、いつも帰っているメンツと、立川駅を掃除することもなく、みんなで試合前は、使っているところを綺麗にしたり、いい男に近づくことはできませんでした。ありがとうございました。

最後に3年
本当に辛い学年で上手い人もたくさんいて、最初は場違いでやめたいと何度も思ったけど、みんなと一緒にいれなくなるのが嫌で必死についていきました。本当に、最高の選手、最高のマネージャーでした。三鷹戦、多くの人が現地に行けず、前日、絶対、都大会に連れていくと約束をして、勝って来れたのは、良かったです。ですが、東大和南戦、負けてしまって本当に申し訳ないと思ってます。今でも、試合を見ると悲しくなります。これからもサッカーとかで集まりましょう!

ラストミーティングは、鮮明に覚えてます。もう少し一緒にやりたかった。一緒にやれてよかった。龍先生の言葉に同意見です。

ありがとうございました。

 

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関根 勇斗

3年間ありがとうございました。この昭和第一での3年間のサッカーは自分自身の中で、1番辛く楽しくやりがいのある時間でした。色んな人に支えられてサッカー以外のこともたくさん学びました。3年間を振り返るとAチームで過ごす時間が多かったです。対面パスのとき大斗、香央、歩人、純一郎とずっとやってました。マイペースすぎてだらける時もあって注意されることもあったけど自分のリズムを作ることができたのはこのメンバーのおかげだと思います。でも自分のリズムを大事にしすぎてチームに迷惑をかけることばかりでした、ごめんなさい。1年生の時、新人戦でいきなり3番をもらって試合に出た時はいきなりすぎてチームに馴染めず不安でなにをすればいいかわからず、2年生の夏は三鷹との試合でメンタルをボコボコにされたのを思い出します。だからこそ最後三鷹に勝った時はめちゃ嬉しかったです。でも逆に満足してそこで燃え尽きてしまった感もありました。だから片倉、東大和南との試合なにもできず悔しかったです。自分はすごく恵まれていたと思います。シャトランも全く走れず、メンタルが弱く、集中力がない、調子に波がある。でも1年生の後半からAチームにいました。何かプレーで恩返しするわけでもなく。ただ後ろからボールを怖がらずに持つことはしっかりやってきたつもりです。期待に応えることができたかわかりませんが扱いにくい自分をスタメンで使ってくださって龍先生ありがとうございます。辛い時期もありました。1年生の冬はサッカーが楽しくなくて部活に行きたくなくて学校を休んだ日もありました。でも練習の中で安心する時間がありました。それは練習中に龍先生が笑顔を見せる時です。笑顔を見せると自分はいつも心の中で、おぉーと思っていました。朝練に関しては朝4時に起きて始発で学校に向かう生活がすごく嫌でした。でも毎日親が支えてくれましたありがとうございました。最後に、攻撃ばかり考えて、守備で迷惑ばかりかけていましたが昭和第一の歴史の中にボールを怖がらずに持つ意識を持たせることができたなら自分は嬉しいです。引退してからやっぱり昭和第一でサッカーできてよかったなと思えたし、サッカー以外のこともたくさん学びました。1、2年生は最後引退するときに後悔じゃなくて、これやっといてよかったと思えるものがあるように残りの時間過ごしてください。このメンバーで3年間サッカーすることができて本当によかったですありがとうございました。

 

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黒木 時風

まず河野先生、様々な裏方での管理でチームを支えていただきありがとうございました。渡辺先生、この学年がなにか意見がある時に真っ先に自分たちの意見を聞いてくれたり、全員が意見を出す機会を作ってくれたりと精神面で支えていただきありがとうございました。野田くん、色々な練習を組んで僕達に様々なことを教えてくれました。自分の膝の怪我にも向き合ってくれて最後まで膝が壊れることなく終われたのは野田くんのアドバイスがあったからこそだと思います。ありがとうございました。今井さん、自分は多くの時間を今井さんのいるBチームで過ごしました。今井さんの言葉や考えを全て理解したわけではないけれど今井さんの指導がなければBチームは地区リーグであそこまでいい成績は出せなかったと思うし、まとまらなかったと思います。ありがとうございました。龍先生、2年の冬になおととゆうきがいない東京実業との練習試合で初めてAチームで試合に出た時、ものすごく緊張しました。その後も片倉との練習試合でも出してもらったり冬合宿でもAチームに帯同させてもらったりと多くの機会を貰ったのにも関わらず冬合宿後の膝の怪我をした時に「思い出で終わるぞ」と言われた時に初めてAチームでいることの大変さを感じました。選手権予選もPKキーパーでやらせてくださいと言った時は最後までチャンスをくれました。選ばれなかったとしても最後までチャンスをくれた事が本当に嬉しかったです。ありがとうございました。後輩のみんなに伝えたいことは、試合に負けたことを悔しがるんじゃなくてその相手に負けているという状況を悔しがってください。負けたその一瞬悔しがってもその悔しさはそのときで終わってしまうと思います。同じ相手に2度も負けないようなチームになってください。最後になおと、ゆうき、こだ。3年間ありがとう。このメンバーじゃなきゃ辛いことを乗り越えられなかったと思う。みんなが試合に出て活躍しているのを見るとこっちも嬉しくなって負けたくないって気持ちがいつの間にか芽生えてきました。本当に感謝してます。最高の仲間でした。

 

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中野 雪音

まずは指導者、保護者の方々そして関係者の皆様3年間お世話になりました。
自分がこの3年間サッカー面で成長したことはフィジカルで、元々走れる方ではあったけど自分の武器と言えるほどではなかった。
他との差を今まで以上に差を広げ自分の武器にすると考えた時にいつもやっている15週やシャトランで常に上位に入ることを心がけることと、練習試合や練習中のゲームなどで守備の時に1つ2つプレスかけるのではなく3つ4つプレスいくことです。この2つをコツコツやって他とは少しは差を広げれたと思います。その結果ひとつのアピールになり前線からの守備でスタメンを取れたり試合に長く出れるようになった訳では無いけど残り少ない中、最後にハイプレスしてボールを奪いたい時に使ってもらえました。
前線の選手で運動量と守備力は張り合えるくらいに成長したと思います。
それ以外の面では人間性で、龍先生に立派な男にして卒業させるって最初に言われて挨拶の徹底、合宿でみんなでゴミ拾いしたり、地域の行事を手伝ったりしました。そこでいい男になるための経験値を積むことができ1歩大きく近ずけたと感じました。龍先生にゴミは『運 』と言われていて部活帰りに立川駅方面組でバス停から改札の前とかのゴミをみんなで拾ってホームのゴミ箱に分別して捨ててました。途中からコロナがあり出来なくなったんですけどその姿を見ていた人が声をかけてくれて褒められたりすることもありました。
3年間サッカー面もそれ以外も続けてきて成功や失敗も後悔もたくさんしたけどいい男に成長できたと思います。ありがとうございました。

後輩へ
自分はいとつ上の代からサブとしてメンバーに入っていて試合に出れる機会が多くあり、向上心もあり自主参加の朝練に行ったりして努力をしていたんですけど自分の代に変わってから徐々に朝練を行かなくなったりしました。公式戦も出れなくなり徐々に試合に出ることは無くなり最後の選手権も初戦から都大会1回戦まで数分しか出ることが出来なかったです。すごく後悔してます。
継続して努力し続けないと結果はついてこないと言うことを得ました。
これをマイナスにとらえずひとつ経験としてこの先に活かしていきたいと思います。
みんなは自分みたいに失敗して後悔しないように努力は継続しましょう。
3年生へ
3年間色々あって上手くいかなくて何回も辞めたいとか思ってた時期はあったけど辞めずに最後までやり続けれたのはみんなとの部活とか合間の時間とか楽しい時間があったから最後までやりきれた思う。
みんなそれぞれの道で頑張って欲しいと思います。
3年間ありがとうございました。
ほたかとりょうま
ほたかは小学校の選抜で一緒になってから7年間くらい、りょうまもお互い知ってたのは小学校からだけど一緒になったのは中学からで6年間本当にお世話になった。
辛い時期とか沢山あって俺個人の夢は3人で公式戦出れたらいいなって思っててそれは叶わなかったけど何とか最後3人でA2のリーグ戦だけど一緒に戦えて良かった。
3人で最後まで続けられて良かったと思う。

 

 

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日原 開登

サッカーの楽しさを再確認させてくれた高校3年間,これは紛れもなく仲間・指導者・保護者の存在があったからです。とても感謝しています。再確認と聞いて?を思い浮かべるかも知れませんが私は中学の時にサッカーが嫌いになりました。親にサッカーを辞めて勉強頑張ると言っていたほどです。今では考えられません!あの頃の自分は目標もなくただやらされている感覚でサッカーをしていました。しかし自分がどんなに弱音を吐いたりや辞めたいなどと口にしても親はサッカーの道から外しませんでした。あの時本当に辞めていたらこんな素晴らしい人達と出会えていなかったと思います。親にはいつも迷惑しかかけなかったのに側で支えてくれて感謝しかありません。でもこれからは自分の道は自分で切り開いて登って行こうと思うので心配しないでください。そして目標のなかった自分に目標を与え,努力することで感じられるサッカーの楽しさを教えてくれた指導者,共に戦い汗水流して得た仲間との思い出,この3年間は自分の人生の中でも濃く一生の宝になりました。本当に楽しかったです,ありがとうございました。

 
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野中 香央

まずは自分が3年間の中で思っていたことを書きます。
自分は2年の時からAチームとしてプレーをしていました。3年になり新人戦が終わったあとぐらいから練習試合などで簡単なミスや自分の中でボールを取られてはいけないと思い込みすぎて謎のプレッシャーをかかえたりしていました。2年の頃は左サイドハーフで主にプレーをして、3年になってボランチに変わり特に体が強いわけでもなく守備もあまりできない。
そして、れおんと自分がボランチを交互にプレーをしていた時に、れおんがどんどんと成長していて守備でガツガツ行けたり球際が強くなっているのを見て、正直とても焦っていました。色々と悩んで自分なりに工夫して攻撃のチャンスを作るようにしようと他の人よりも周りを見て判断を早くしてリズムを大事にしたりしていましたが結局考えすぎてうまくいかないことが多かったです。
そして左サイドハーフでプレーしたいとずっと思っていてある練習の日のゲームで左サイドハーフが空いていて久しぶりにプレーをしたら自信を持ってプレーができ、次の日の練習試合ではそのプレーを龍先生はしっかりと見てくれていたのか左サイドハーフで起用をしてくれました。そこで3年になって左サイドハーフでプレーすることが増えました。
しかし、自分は足が速いわけではないのでゆうごとのサイドでの崩しなど攻撃をしていたのでもっと自分で仕掛けたいと2年の頃から左サイドハーフでプレーする時はいつも思っていました。毎回自分で仕掛けてシュートまで行こうと考えていてもチャレンジせず、すぐに周りを探してゴールに向かう自分を忘れていました。でも、最後の選手権での東大和南戦では自分で仕掛けて行くことが1番できた試合だと思います。自信を持って最後の選手権というのもあり自分のプレーをできたと思います。負けてしまい悔いの残る試合でしたが自分がしたいプレーができてやり切れました。

3年間この仲間でやってきたことを本当に良かったと思います。クラブハウスでみんなで騒いだり、練習前に楽しく話したりしていた時間が楽しかったです。
そしてチームを引っ張ってくれたりょうがは本当に大変だったと思います。あとゆうごも副キャプテンとしてりょうががいない時などチームを支えてくれました。ゆうごとは左サイドでの連携で色んな相手を崩して気持ちよかったです。
この仲間とできて本当に楽しかったです。ありがとうございました。

指導者、保護者、その他サポートしてくださったOBの方々など本当にありがとうございました。
自分がここまで続けられたのはみなさんのおかげです。
龍先生には、ずっとAチームで自分の力を信じ続けてくれました。自分が調子悪い時期にトラップの向きや体の向きのことなど細かく指導してくれました。ボランチで1発で逆サイドに展開できるように言われましたが期待通りにはプレー出来なかった部分もたくさんあると思います。自分をここまで育てていただきありがとうございました。

最後に後輩へ。
勉強はしっかりした方がいいです。

 

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針生 顕

自分は今まで色んなことから逃げてきました。出来ないことに挑戦するのが面倒臭くて、努力が必要であれば避けました。そんな自分にとってサッカー部での活動は自分を見直すきっかけになりました。終わりが見えない厳しいトレーニングは、1人なら続けられなかった。でもチームメイトをふと見れば、辛いはずなのにひたむきに走る姿があり、そのおかげで諦めずに取り組むことが出来ました。自分だけでは越えられない自分の壁を、サッカー部に関係する多くの方々に協力して壊してもらえている感覚があり、成長出来ました。みんなの努力する姿を見て努力とは何かを考え直すことが出来ました。
卒業を前にして感じているのは、好きなことを努力するのは簡単で、成長の本質は嫌なことを我慢して、耐え続けることだということです。差がつくのはそこであり成功者にはそれを淡々にこなせる才能があるのだと思います。3年間の活動でこれを身につけることは出来ませんでしたが、気づいたことに本当に価値があったと思います。サッカー部という環境に身を置かならければだらしない人間になってしまったはずです。
昭和第一学園に入学し、サッカー部に入って、素晴らしいチームメイト、人生の先輩として尊敬できる指導者の方々と出逢えた事も本当に運が良かったと思います。この幸運を無駄にしないようにこれからもこの部活で学んだことを活かして、堂々と生きていきます。そして、今度は自分がそんな影響を与えられるような人間になりたいです。

P.Sこれから受験をする人へ
自分は一般受験をしましたが、1番手応えがなかった大学に受かりました。その大学の入試の帰り道、道路に缶が落ちていて拾いました。そういうことです。

 

 

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平岡 隼輔

3年間大変お世話になりました。
私は新チームになりすぐに怪我をしてしまい、引退までほとんどプレーをすることができませんでした。なので本格的に練習をすることができたのは2年生の途中までです。しかし、皆よりもチームに関わる時間は少ない中でも、昭和第一学園のサッカー部の中で得られた事は沢山あります。
その一つとしてマネージャーの大切さに気づくことができました。プレーヤーでいる時は、マネージャーが用意してくれている環境に対して『当たり前』と思っていました。しかし怪我をし、自分が実際にサポートする側になった時に、初めてマネージャーが普段どれだけ大変な思いをしながらチームを支えていてくれるのか、1人で孤独に頑張っているのかなど、プレーをしていた時には気づくことの出来なかった事を沢山気づかせていただきました。
今後、普段『当たり前』に整っている環境に対し、しっかりと環境が整っていく過程に目を向け、その『当たり前』の事に携わってくれている周囲の人に感謝の気持ちを忘れずにカッコ良い大人になりたいです。
最後に、昭和第一学園サッカー部が全国大会で活躍する日を楽しみにしています。

 

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45番GKの古田です。
僕からは今後、後輩達が少しでも役に立つと感じられるような自分のサッカー部での経験について書き連ねたいと思います。
僕はサッカー部に入って周りの人達が筋トレなど努力している中自分は少しでも楽に終わりたいと自主トレに積極的に参加していませんでした。ですが、その差はAチームとだけでなく、Bチームの中でも自分の力量の差を感じられる様になってきました。3年になってからは病気にもかかりチームでプレーすることも出来なくなってしまいました。1・2年の時少しでも努力して少しでも良いプレーができたら良かったなと卒業する今になってでも感じます。なので今の1・2年生では例えBチームであっても自分に自信がなくても少しでも良いので努力をして欲しいです。そしたら1・2年後の自分は以前と全く違う自分になれると思います。3年間は短いです。だから他との差はどんどん広がっていきます。高校生の間だけでもサッカーという青春を輝かせて欲しいです。最後にBチームの人達は現実から逃げず戦いそして、最後に楽しかったなと思えるように自分を育んでください。

 

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副キャプテン 守利海斗

3年生のみんな、指導者、保護者、その他の関係者の方々3年間ありがとうございました。この3年間は今までで1番成長できた3年間でした。その成長の要因として2つのことが自分にとって掛け替えの無い経験だと感じています。
1つ目は指導者の方々が3年間自分をリーダー格として信頼してくださったことです。私は中学時代に部長を務める期間があり、それもあり自分は仕切ること、中心に立つことが好きでそれを自分の武器として高校入学しました。しかし、中学時代とは全くの別物で部員の数、練習の強度、レベルの違いが身に染みて感じ正直自分の武器を出すどころかついていくのに必死で全く武器を活かすことができませんでした。しかし、無意識に自分は練習中、試合中に声を絶やさずに出していました。それを龍先生、今井コーチ、ゆうすけさんは気づいてくれていて「お前はチームをまとめる力がある」と言ってくれました。そこで自分は自分のことよりも第一にチームをまとめることが自分の役割なんだという意識に変わりました。そのようなことから自分は3年間でチームをまとめる声かけに関しては自分が1番だという自信があります。そのような自信もあり自分は3年間リーダー格としてチームの中心に立ちまとめることができました。なので自分が成長したと感じました。
2つ目はライバルが多かったことです。中学時代は部員が少なくてレベルもそんなに高くはなかったので自分は毎試合出れるような選手でした。それと同じように一年生大会では自分は毎試合出させてもらえて正直3年間負けないと思っていました。しかし、日が経つごとに自分よりも関根や東海林、健心、えいき達は着々と上達していき最終的には自分はA2、ベンチメンバーになっていました。正直とても辛くて「どうせ出れないのにやる意味はあるのかな」と疑問を持つようになりました。けどコロナ期間中東海林からライバルだと言ってもらいました。この時に自分は東海林に負けたくない。俺が先発で出てチームを勝たせたい、ディフェンスリーダーになりたいと言う気持ちになりました。結果的に自分は途中出場一回だけで高校サッカーは終わりましたがこの選手権期間は1番気持ちが成長できた期間でした。他にも成長できた要因や3年間の気持ちはこれ以上にありますがこの2つが特に自分の財産となった経験でした。今の1、2年生は淡々と部活して勉強するより一つ一つ小さな目標を決めること、ライバルを決めて取り組むことを意識してやってみてください。また、1人で頑張るんじゃなくて仲間を活かして取り組んでみてください。せっかくの仲間を有効活用して自分もその相手、仲間も成長できるように頑張ってみてください。特にリーダー格の人達は1人でなんとかしようとせずチームみんなで取り組むことが成功への近道だと思います。頑張ってみてください。自分はサッカー部としてやってきた3年間は大きく成長した期間でした。けど、まだ自分は未熟でかけてる部分はあります。なのでもっと成長できるよう大学生では色々なことにチャレンジしていくのでまた成長した姿を昭和第一学園サッカー部の指導者たちそして在校生に見せに行くのでまっていてください。3年間ありがとうございました。

 

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副部長 美和歩空

これを書くと皆さんとの別れを改めて感じるので書きたくなかったのですが、いずれは書かなければいけないので思い切って書くことにします。

後輩へ、そして今までの自分を皆さんに知ってもらうために、この3年間を振り返ることにします。
突然ですが、後輩のみんなは僕をどのような人だと思っていますか?最初からみんなが考えているような人ではありませんでした。普段は人前に立って指示を出したり、話をしたり、まとめたりなどしていますが、昔は恥ずかしがり屋で人の前に好んで立つ人ではありませんでした。自分の意見もまともに言えず、声も小さく、ネガティブで自己主張ができないそんなような選手でした。同じような選手がいますか?そのような選手がいたらチャンスです。今からならまだ変われます。性格を変えるくらいの強い意志をもち、努力をすれば必ず変われます。
アドバイスとして、僕の高校3年間を振り返りますね。
一年生の入部当初、受験で落ちた僕はサッカーなんてやる気もありませんでした。それでもなぜかサッカーは好きで、サッカー部に入部しました。
入った当初はみんなサッカーが上手くて、何もチームの役に立つことができなかったので、備品の整理やカバンの整頓、靴を並べたり、ボトルを回収したり、誰かよりいち早く行動したり、副審をやったりチームの役に立つことは率先してやりました。この行動がのちに今の自分を作ったと思っています。そのような行動をしていたらだんだんと周りから信頼され、先輩にも仕事を任され、託されるようになりました。しかし、その時に僕は左膝側副靭帯損傷という大きな怪我をしてしまいました。4ヶ月くらいマネージャーとしてピッチの外からみんなを眺めることになりました。
ここで一つ、みんなに考えて欲しいことがあります。怪我をした、それはデメリットなのでしょうか。もちろん、技術的な衰えはあるでしょう。しかし、それ以上に僕は大きなものを得ることができました。ピッチの外からでしか気づかないこと、一旦、チームを離れ、チームを客観的に見ることこれが本当にその後の僕のサッカーを変えてくれたと思っています。
その後、がむしゃらに頑張っていると、新人戦のメンバーに選ばれました。しかし、そこでは出場時間3分。本当にカップラーメンが作れるくらいの時間しか出場することができませんでした。
なんでだろう。そう考えました。そしたら自分に足りないものが見えてきました。それは自分には武器がない。全てのことをある程度にはできるが、武器と言えるものが何もないと。ここで一つ、みんなには武器がありますか?俺にはこれがあると言えるものがありますか?それがないと、スタメンで出場なんてことは程遠くなってしまいます。今からでも遅くはありません。見つけてください。作ってください。
話は戻り、僕は決定的に足りていない、シュートを身につけることにしました。その直後僕はまた、同じ怪我でチームを離れることになりました。でも、悪い気持ちはしませんでした。主観的にチームを見過ぎでいた故にどこか行き詰まってたとこがあったからです。それからは朝練も怪我人だけど、何か役に立つことがあると思い、Aチームに帯同していくことにしました。怪我人で朝練に行くなど多分僕が初めてだったと思います。
朝練や午後練を見る中で、僕は選手一人一人の特徴や武器を把握していくようになりました。
そして復帰して、すぐにA2のスタメンとして使ってもらえるようになりました。この時、仲間を理解するって、とんでもなく武器になるんだなと思いました。今怪我をしている人も、これから怪我をする人もいると思います。その人たちに僕は怪我はチャンスだよ、と伝えたいです。それから、インターハイのメンバーにも選ばれました。その後の地区リーグでも、A2は怒涛の5連勝をして、そのスタメンとして、チームに貢献できたことがなによりも嬉しかったです。ですが、選手権のメンバーには選ばれませんでした。そして、鷺宮に負けてしまい、選手権が終わってしまいました。自分は何もできていない、自分の代では絶対にこんな悔しい思いはしない、そう意気込んで新チームを迎えました。しかし、それでもA1には一歩届かずにA2でプレーする機会が多くなっていきました。しかし、チーム全体のことを考えた時、僕はA1ではなくA2に必要とされているんじゃないかと思いました。A1を強くするには、サブであるA2を強くしなければならない、チーム内の競争が激しくなければ、A1は強くならない。ならA2を引っ張って行って、A1を倒すくらい強くなればおのずと、A1は強くなってくれるそう思い、A2の中心的な役割を担ってプレーすることにしました。最初は思い通りいかず、苦しい日々でしたが、みんなの気持ちと考えを共有し合っていく中で、自分たちの理想を作り上げていき、それを体現することができました。
そしてコロナで自粛期間に入りました。僕はここをチャンスと感じ、今まで足りていなかったフィジカルの強化、食事のバランス、三菱養和や日大明誠、実践、聖望とよりレベルの高いサッカーをしたりしました。その人達とサッカーをしたときに衝撃を受けたことを一つ、伝えますね。それは、一つ先のことを予測し、考えてプレーしていました。自分もやろうとしたのですが、なかなか身につくものではありませんでした。なのでみんなが意識してやったら、もっとすごいチームになるんだろうなって思ったので伝えました。
でも、コロナ禍で1番効果があったのはその年の選手権の全試合をみてサッカーノートにまとめ、自分のチームと比較したことです。改めて見ると本当にレベルが違います。やってみると、サッカーの考え方が変わったり、視野が広がったりするので、やって見るといいですよ。
そうして、月日が流れて、選手権になりました。そして僕は17番という価値ある背番号を託されました。出場はできたものの、結局なにもチームの役に立っていなかった気がします。それが悔しすぎて、大和南戦後のミーティングが終わった後、大泣きしました。でも、大泣きできたことがとても嬉しかったです。僕は小学校や中学の時の最後の試合で泣くことはありませんでした。そこまで思い入れがなかったからなのかもしれません。それで、高校の部活をやるときは最後は絶対にどんな形であれ、大泣きしてやると考えていました。その目標を達成できてとても嬉しかったです。
後輩のみんな、みんなはもっと頭を使って試合をしてほしい。一個上の春山くんも言っていたように思考してプレーすることはとても大切です。僕たちはそれに気づくのが遅かった。なのでみんなには頭を使って試合して欲しい。
そして、17番という番号を価値ある番号として受け継いでほしいです。キャプテンの裏番号、裏で支えるチームのもう一つの大黒柱。これを受け継いで欲しいです。
最後に尊敬する2人の人が言っていたことを伝えます。「勝利の神様は細部に宿る」「行った場所で花を咲かせばいい」
まだまだいっぱい伝えたいことはありますが、もう十分長いので、このくらいにしておきます。
期待しています。

指導者へ
河野先生
体調が悪い中、ウェイトに来てくださったり、裏でサッカー部のために仕事をしてくださり、本当にありがとうございました。

渡辺先生
渡辺先生の世界史の授業僕はどの先生の授業よりも好きでした。また世界史の話をしてくださいね。渡辺先生のどんな歳になっても何も臆せずチャレンジしていく姿とてもかっこよかったです。
渡辺先生が笛を吹くピッチでまた試合をさせてください。ありがとうございました。

鈴木祐介コーチ
一年生大会の時、こんな技術も未熟で上手くもない僕を使ってくださり、ありがとうございました。祐介コーチに褒められた時、本当に嬉しくて、プレスも何回でも行きたくなりました。
またお会いした時に、なぜ僕を使ってくださったのかを聞きたいです。ありがとうございました。

今井コーチ
3年のウェイトをしている時、言ってくれた言葉を覚えていますか?「ほたかは努力の男だろ?」
そう言ってもらえたのが嬉しくて、自分は知らずの間にすごい努力をしてたのかなと思うことができました。その言葉のおかげで自信がつきました。ありがとうございます。今井コーチは一緒にいる時間が少なかったにも関わらず、僕のことを見てくださってくれていたんだなと思うと感謝しかありません。本当にありがとうございました。

龍先生
龍先生こそ、本当にかっこいい男だと僕は思います。人に言う前に自分で実践していたり、運を拾っていたり、筋トレも妥協することなくやっていたり、1番ストイックでかっこいい男だと思います。
僕は龍先生の言うかっこいい男になれましたか?
龍先生の記憶に残る唯一無二の存在になれましたか?龍先生から僕はどのように見えていましたか?
また今度お話しする機会があれば、聞かせていただきたいです。
僕は前任の部長に憧れ、部長になるために頑張っていました。部室の掃除をしたり、ユニフォームの枚数確認、グラウンドに出る時はボールや備品の確認、遠征の時は全部準備したり、合宿の準備を仕切ったり、クラブハウスを出る際は1番最後に出て、ゴミが落ちていないか確認、数え切れないほど仕事をこなし、前任の部長から受け継いだものを後輩へ受け継ごうとしました。しかし、部長にはなれませんでした。何が足りなかったのかも教えていただきたいです。
ですが、都大会を決める試合で、僕が部長ではない理由がわかりました。
また会う機会があれば色々とお話ししたいです。
龍先生からの問いを一つ答えたいと思います。
明らかに僕は龍先生の元で成長しました。サッカーに対する価値観や熱意、僕は根性論なんてものは嫌いですが、なんだかんだ1番根性で頑張っていたのかもしれません。龍先生から貰ったものは全て宝物で、僕の成長の糧でした。
社会に貢献できる、そんな人材になることを約束します。今まで本当にありがとうございました。

保護者の方々へ
いつも暖かく見守ってくださり、ありがとうございました。保護者の皆様が見に来てくださっている試合は選手みんなが奮起し、気合が入っていたように思えました。忙しい中、合宿や試合に足を運んでくださり、本当にありがとうございました。

家族へ
18年間育ててくれてありがとう。怪我した時に病院まで送ってくれたり、コロナ禍は筋トレの後にご飯を食べたいからと言ってご飯の時間をずらしたり、いっぱい迷惑をかけました。怪我した時、弱気になってる俺を「そんなんならやめれば?」
と言われて、目が覚めました。あの言葉がなかったら、怪我に立ち向かず、逃げて、弱い自分になっていたかもしれない。サッカー用具はあんまりお金をかけたくなかったから、スパイクもロゴが剥がれるまで使い続けたり、中には3年間使ったスパイクもあったっけな。
受験期も辛い思いをさせて本当にごめん。
なかなか結果が出ない俺を支え続けてくれて本当にありがとう。
このサッカー部に入って俺は本当に変われたと思う。すごく貴重な体験をしたし、何より自分に自信がついた気がする。支え続けてくれてありがとう。必ず、自分のできることで社会に貢献し、誇れる息子になります。
これからもよろしくお願いします。

3年生へ
最後の大会、本当にサッカーで何も貢献できなくてごめんね。それが悔しすぎて帰りのバス乗るまでずっと泣いてた。俺がもっと上手ければ、俺がもっと強ければって死ぬほど後悔した。
だけど、サッカー以外は誰にも負けないくらい仕事したと思ってる。誰にも負けないくらいチームを愛してた。だからみんなに認めてもらった時は本当に嬉しかったんだ。
A2のみんなに必要とされて、お前がいないとだめだよって言われたり、して本当に嬉しかった。今なら俺はA2のキャプテンだって胸を張って言える。本当にありがとう。
A1のみんなについていくことは本当に難しかったけど、気持ちだけでも負けないって思って、声出したり、盛り上げてたりしてたけど、みんなの役に立てたかな?選手権の最初の試合でピッチに出た時、グータッチしてくれたり、一気にピッチが引き締まった感じがしたり、俺の声にみんなが乗って声出してくれたりして、本当に嬉しかった。
ちひろは一人でずっと頑張ってたけど、力になれたかな?なるべく負担をかけないように、遠征の準備とか、何がどこにあるとか部室を把握して、ちひろに負担がかからないようにみんなが俺に聞いてもわかるようにしてたけど、力になれてたかな?大会があるごとに徹夜してお守り作ってくれたり、して本当に嬉しかったよ。ありがとう。
りょうが、チームを引っ張ってってくれてありがとう。なにかりょうがの役に立てたかな?裏でチームのこと、備品の整備とか遠征の準備とかしたりして、りょうががなるべくピッチにサッカーに集中できるようにしてたけど、その役割果たせてたかな?夏合宿のとき、2人でめっちゃ怒られたな、だけどそれがすごい良い経験だったよ。部長にはなれなかったけど、りょうがの中で俺が必要な存在で、俺がいなかったらだめだったって思ってくれてたなら十分かな。
みんなの中の記憶に刻まれる唯一の存在であれたら俺は本当に幸せだよ。
俺らはベスト8には行けなかったけど、確実にこの東京都で最恐だった。俺らで昭和第一学園を東京都のチームに認知させた。
みんなのおかげで、俺の高校生活は漫画のようにキラキラしてて、かけがえのない、人生の中で1番サッカーが楽しい時間だった。
本当にありがとう。

みんな最後まで諦めないで。諦めなければ絶対に勝利の女神様がほほえんでくれる。
後輩で受験をする人もいるかもしれない。そんな人には最後まで頑張って欲しい。俺は後期試験まで粘り続けたら、逆転合格することができた。
だから最後まで諦めないで。

今まで本当にありがとうございました。