野田コーチから地区一部メンバーへ
植竹倖平
倖平、卒業おめでとう。
あれだけの能力と武器があってなぜBチームにいたのだろうか?
分かっていても難しかった。原因に今なら気づいているでしょう。
これからは、自分を変化させたり、周りと合わせたりとストレスの多い世界になっていくでしょう。負けずに頑張ってください。3年間ありがとう!
酒井翔雅
翔雅、卒業おめでとう。
最後の夏明けまではどれだけ苦しんだのだろうね。
考えてみるとキリがないね。それでも、必ずピッチから逃げなかった。すご過ぎる。
俺は勇気をもらった。何試合ボコボコにやられても折れることはなかった。ありがとう。
ただ、自分の弱点に成長が欲しかったな。
これからは、人をサポートする側になると思う。びっくりするくらい人間は話を聞いてないぞ!
覚悟しておいた方が良い。その時はまた一緒に頑張ろう。3年間ありがとう!
輝也、卒業おめでとう。
新人戦のスタメンがなぜ俺とサッカーをやっていたのか。悔しいね。
でも、俺は、輝也のプレーが好きだった。特別な番号を任せた試合もあったはず。
だからこそ、もう一歩成長させてやりたかった。何が足りなかったかな。
何に後悔してる?このさきそんな壁を壊せる人になって欲しいです。
頑張って!3年間ありがとう!
関口嵐大
嵐大、卒業おめでとう。
よくぞ戻ってきたな!頑張ったな!でもトップまではいけなかったな。
ある意味で、努力を形にできた1人だと思う。昭和第一で言うカッコ良いはそこなんじゃないかな。これから先の成功の鍵は、これまでと同じで努力すること。それから努力の仕方を間違えないこと。難しいけど嵐大ならできると思うから頑張って!3年間ありがとう!
高橋和寿
和寿、卒業おめでとう。
いや〜。たまげました。強くなったな。シーズン全ていなかったことを想像すると。。。やめておこう。恐ろしい。それだけチームの柱になってしまった。頼もしかった。
元々おとなしい方で組織の中心には向かなかったのに、何がきっかけであんなに化けたのか教えて欲しい。これだけの成長を掴み取った人ならこれから先、自信を持って頑張ってください。
3年間ありがとう!
星洵大
洵大、卒業おめでとう。
長く苦しいリハビリを耐えて、ピッチにいる姿は、痺れたよ。
耐え続けて迎えたあの瞬間はどんな気持ちだったのかな?今度思い出話で聞かせてください。
最後は、キャプテンを任せた。後悔はない。洵大でよかった。
あのチームには、洵大みたいに寄り添って一緒に走ってくれる存在が必要だったと思う。
色々な感情を抱えたと思う。それは全て財産として持って帰ってください。これからの武器になると思います。これからも頑張って!3年間ありがとう!
堀米琉仁
琉仁、卒業おめでとう。
困ったら堀米、そんな俺のスタンスをお許しください。それだけ信頼してました。
育った環境、ポテンシャル、センスはあった。トップに行くために何が足りなかったかな?
意外と些細なことだと思うけど気づけましたか?
これから大人になるとそんなことが多いです。惜しいじゃなくて、分析して成功させないといけなくなってくる。感覚派には難しいかもしれないけど負けずに頑張って!3年間ありがとう!
間宮琉人
間宮、卒業おめでとう。
得点力があればあなたは100点のトップ下だ。センスある。観てて楽しかった。
ただ、少し大雑把過ぎるところがあるようだね?3年生の途中で、力を抜くところと集中するところなんとなく掴んで、成長してカテゴリーを戻した時には、自分の力をしっかり付けていた。久しぶりの間宮の姿にワクワクしたのを覚えてます。
今回、身につけた成長するためのポイントは必ず今後に活きるはずです。全力で頑張って!3年間ありがとう!
鈴木斗真
斗真、卒業おめでとう。
一度でも低く評価したことを後悔させてくれたうちの1人だよ。頑張ったな。
正直、Bチームに最後来てからは圧巻だった。一瞬のスピードとパワー、チームに足りないものを持ってきた。頼もしかった。
サッカーのパフォーマンスと日常生活のリンクも気づいたと思う。自分の軸と、やるべきことのバランスを大切にこれからも頑張って!3年間ありがとう!
春山コーチから地区三部メンバーへ
松庫健太
献身的という言葉が一番似合う男。誰かのためにチームのために頑張れる男はそうはいない。入学当初は、走れない、戦えない、テクニックがないとチームの中で圧倒的に出遅れていたね。そんな、松庫は自分にできることを常に見つけていました。そして、副審の資格を取りTリーグで審判を行うという重役を担うところまで成長した。チームの全員はルキとともに松庫にも最大限の感謝を示し召すべきだと思っています。松庫がいなければTリーグの試合は成立していないのだから。
チームのために尽力してくれていた松庫は、選手としてはずっと公式戦に関われないままでした。何か松庫にできることはないか、何とかして試合に出してあげられないかとずっと思っていました。ただ、現実は甘くなくスタートやサブには左利きの力のある同級生や後輩が並び松庫の席を用意してあげることはできなかったです。しかし、6月あたりでしょうか、松庫の左足のクロスが徐々に安定してきた時期に他のプレーも安定感が増しました。神代戦の残り数分は、チームのために尽力し、自身できっかけを作り紛れもなく松庫が勝ち取った公式戦の出場時間です。神代は去年の借りがあったので振るメンバー以外出すつもりはありませんでした。それでも、松庫の直向きな姿勢が出場に値し試合を0でクローズしてくれると私を確信させてくれました。ありがとう。人のために動く素地は備わっているのだから大学生活では自分を伸ばしてくことに注力しても良いのではないでしょうか。今後の活躍に期待しています!
櫛田恭介
Aチームに匹敵するほどのテクニックを持ち合わせていた選手。しかし、いつまで経っても筋肉はつかないし走れない。入学した時から、テクニックは折り紙付きとずっと期待の眼差しで見ていました。新チームでもなんとかAに喰らいつく恭介はかっこよかったです。カテゴリーがCになってからも、Cのために尽力してくれました。恭介がいた時は、恭介の左足に魅了され気付けば恭介にボールを集める戦術を考えていました。受験で早期引退し、そして結果を残した。そんな恭介を誇らしく思います。大学に入る事はあくまでスタートでありそこからが肝心です。驕らず、謙虚にまっすぐ進んでいってください。左足で観客を魅了していた恭介が、次は言葉や行動で人を魅了してくれることを心から願っています。
上野雄希
賢い、しかしサッカーIQはかなり低く状況判断が常に悪い。サッカーに関しては本当に、何を考えているか全くわからなかったです。そんな上野はチームに愛されていましたね。真面目なキャラかと思いきや、見えないところでは常にふざけていたのはバレています。明るく、まっすぐな性格はプレースタイルからも見て取れました。上野が前進する時は期待に満ち溢れていました。
持ち前の明るさを活かし、今後も歩んでいってください。ただ、社会に出ると目まぐるしく変わる日常で即座に判断することを求められます。その力は、大学生のうちに必ず身につけること!
関口嵐大
Cチームの顔であり、圧倒的なキャプテン。そんな、嵐大を変えたのはなんだったのでしょうか。不思議です。入学当初、楽観的で指導者の目ばかり気にしてサッカーをやっていた選手が仲間の目を気にし、自分に厳しく、仲間にも厳しく接することができるようになるなんて誰が想像したのでしょうか。正直、1年次は一生試合に出ないだろうと思っていました。変わりましたね。見違えるほどに。そして、上のカテゴリーに挑戦してくれてありがとう。素直に言えば、嵐大をCから手放すことは苦渋の決断でした。欠かせなかったです。しかし、変わった嵐大には慢心させず更なる高みで挑戦する力を身につけて欲しかったのです。卒業後も、一つ高いステージに挑み続けよう!
橋本汐
このチームを最初に抜けた選手で、長い期間Aチームに関わった選手。Aで挑戦している姿が本当にかっこよく勇気をもらえました。しかし、汐にとっては苦しい時期が長かった年だったかもしれません。「上のカテゴリーに挑戦する」と、覚悟を決めた汐の顔が日に日に曇っていくのを見ていました。いつでも、戻ってきても良いと思っていました。汐は、それでも必死にもがき戦い小さな成功を積み重ねていきました。その小さな成功は決して王道のサクセスストーリーとは言えなかったかもしれません。しかし、国分寺戦の無失点はその小さな成功を掴んだ汐だからこそ達成することのできた大きな成功だったのではないかと思っています。Cチームの先駆者に最大限のリスペクトを。
鈴木斗真
Cチームのタフネススピリットを作り上げた選手。テクニックをひっくり返すほどのファイトを80分間続けていました。斗真が試合中何度「強度」と言ったことでしょうか。斗真に守備のことを任せておけば、そう簡単にはやられないと絶大な信頼をおいていました。スタメンで最初に決まるのも斗真でした。そんな斗真も、一年時は試合に出るような選手ではなく、サッカーよりもピッチ外を優先する選手でしたね。サッカーに打ち込み、勝負にこだわるようになってからは見違えるように成長し遂には、Bチームにも関わる選手に変貌を遂げました。とても誇らしかったです。
一つの目標に向かって信念を持ち邪念なくまっすぐ向き合い成功を掴む感覚はもう備わっています。卒業後も、何か成功体験をつかんだら報告に来てください。待っています。
間宮琉斗
嘘つき。コメちょろまかし犯。もう、夜の10時に呼び出したくないのでしっかりお米食べてください。そして、米不足の現代社会でお米が食べられるありがたみを噛み締めてください。
しかし、サッカーのテクニックとアジリティはCでは抜きに出ていました。それらが、評価されBへの挑戦権を手にすることができましたね。Cチームでも間宮のトップ下は欠かせなかったですし、間宮の抜けた後Cチームが少し衰退したことは事実です。それくらい力がありました。それを自覚していましたか?もう少し、自分の能力に自信を持ち自覚してください。今後の、人生も誰かに影響を与えられる側ではなく与える側になって欲しいと思っています。もう一回り、体も心も大きくなってお米を持って会いに来てください。
内田英汰
左サイドの覇者。左サイドのスプリント回数、攻撃参加はこの昭和第一学園サッカー部全体で1位ではないでしょうか。英汰、Aチームでの挑戦はどうでしたか?試合に出たかったですか。しかし、思うように出られませんでしたね。それが実力だったのかもしれません。あれほどまでに試合で使われないならCチームにいて欲しかったというのが本心でした。ただ、忘れないでください。私は、英汰を誇りに思っています。3年のあの時期にAに上がった事例がかつてあったでしょうか。そして、Tリーグでフル出場を果たした選手はいたのでしょうか。挑戦することを学び、そこで大成できなかった痛みや苦しみを知った英汰はこの先、必ず良い漢になると確信しています。その素地がもう備わっていますから。
藤野慧悟
慧悟、ネガティブは決して悪いことではないです。物事を楽観視して深く考えない人が多い現代社会で、自分を否定的に捉えられるのは、それだけ自分を客観視できているということです。ただ、慧悟の悪かったことは自分の自信の無さをネガティブで覆い隠していたことです。人に弱みを見せたって、頼っても良いのです。実際、最後は2年生や3年生の仲間に色々言われながら回復したじゃないですか。良い仲間を持ちましたね。この経験は、必ず生きると思います。いいですか、「真面目=正義」とは決まっていません。時には「バカになる」ことも大事です。冷静に物事を考える前に、まずは行動に移してみることが大事な場面だってありますよ。それを高校で学べましたね。賢いふりではなく、本当に賢く人望がある人間になってください。慧悟は、superでしたよ。
林一樹
ずっとCチームの土台であり、私のパートナーでした。私は、林とは対等に意見を交換できる関係だったと感じています。問題が発生すれば、林の判断を仰ぎましたし、何か意見を求めるときはまず林に聞きましたね。つまり、信頼していたのです。なぜか。それは、林はサボるということをしない選手だったからです。下手ですし、自信はない。ただ、常に目の前のことに一生懸命で答えを探し続け前向きに取り組んでいました。その姿に私は惚れ込んでいましたし、信頼に値するものでした。なぜ自分が試合に出ていたのかわからないと言っていましたね。これが答えです。私がここまで褒めたのですから、自信を持ちなさい。自分の可能性に蓋をしないで、自信を持てるまでやり込み大きくなってください。林一樹という存在は今後、下位カテゴリーの大きな礎となり残ると確信しています。
不動田勇樹
猪突猛進のドリブラー。シーズン途中でBから降格した選手は基本前向きにプレーすることが難しいメタリティです。しかし、勇気はプレーも言動も常に前しか見ていませんでした。それでも、怪我も多く前しか見ないはずの勇樹が時より下を見る回数が多くなっていた時期もありましたね。そんな苦しい状況下でも勇樹の背中には後輩や仲間の大きな期待が常に乗っていました。サイドハーフは応援席に近いところでプレーする時間が40分はあります。勇樹がボールを持つとベンチから遠い応援席の声が一段と大きく聞こえてきたのを今でも覚えています。これからも、まっすぐ前向きに挑戦を続けてください。ただ時には、テクニックなどの柔軟性も重要ですよ。
工藤佑亮
鉄人。斗真が抜けたボランチの穴をすぐに埋めてくれたのが工藤でした。倒れても何度でも起き上がり、体を投げ出してでもボールを奪いにいく姿勢は見ている人を沸かせ、魅了していました。鉄人と名乗るに相応しかったです。しかし、そこまでに到達するまでが苦しかったですね。Dへ落ち、空回り、Cでもベンチが続く日々。それでも、自分の役割を見つけ存在感が日に日に大きくなっていきました。日野戦の失点を覚えていますか。工藤、ミスは誰にでもあります。それをカバーし、評価や状況を覆すために行動を起こすことが大事です。それを学べましたね。鉄人はそんな簡単に折れません。失敗しても折れずに、立ち上がりなさい。倒れない工藤が私は好きです。
石田奏介
フィールドのブルドーザー。目の前に相手がいても弾き飛ばし突き進む圧倒的なフィジカルはAチームでも通じる武器でした。しかし、圧倒的に自分に生活面の課題が多かったですね。何度、遅刻や報告ミスを注意したことでしょうか。何度、丁寧にサッカーに向き合う姿勢や規律の重要性を説いてきたでしょうか。注意されたことはおそらく数年後には身に染みて感じることでしょう。奏介、大学生になったら自分のことは自分で管理しなくてはなりません。注意してくれる人も少なくなるかもしれません。自分が甘いなと思ったらすぐに会いにきてください。また何度でも叱りますよ。しかし奏介は、紛れもなくCチームの「最高のジョーカー」でした。後半から、奏介を入れる判断をしているのは私ですが相手のDFが可哀想で仕方なかったです。大学でもしスポーツを続けるならジョーカーではなくスタートを勝ち取りなさい。そのためにもまずは自分に厳しくなりなさい。頑張れ。
安舘音希
Cチームの縁の下の力持ち。自身でコツコツ積み重ねてきたフィジカルはCチームDFラインには欠かせない存在でした。自信がなく消極的なプレイが多かった音希は、春合宿で覚醒。CBも両方のSBもこなせるようになりましたね。それでも、メンタリティの浮き沈みから試合に常に出場することは難しく、辛い期間もあったのではないでしょうか。しかし、音希がメンバーから外れたことはほとんどなかったと思います。それは、常に音希がスタンバイしているからこそ積極的にSBへ攻撃参加を促すことができたのです。Cチームのサイド攻撃には音希という、チームを裏切らない堅実かつ強固なディフェンダーがいたことを忘れてはいけません。音希、誰かのサブは高校で終わりです。主役になれる素質を持っています。あとは、自信だけです。何事も自信がつくまでやり込みなさい。期待しています。
岡村智成
表向きは天真爛漫な努力家。裏では、自分に自信がなく常に苦しんでいたことを知っています。智成の努力は凄まじいものでした。授業中の態度や成績はトップクラスで良い評判しか聞きませんでした。走りも直向きに取り組み、常に後輩たちを牽引していく選手でした。しかし、サッカーだけは伸び悩みましたね。SBは高度なサッカーIQと身体能力が求められます。その重圧に少しずつ心がすり減り自信を無くしていく姿を見ているのは辛かったです。どうにか智成を活かす方法を探しSHやボランチなどもやらせましたがそこでも芽が出ませんでしたね。普通の人間はここで腐ります。自分の限界をきめ諦めます。でも智成は違かった。FWへ転向し持ち前の献身性と明るさでチームを活気づける走れるFWへと変貌を遂げました。日野戦のゴールは、苦楽を経験した智成が手にした大きな成功体験だったのではないでしょうか。最後まで、チームを照らしてくれてありがとう。苦しくてもやり遂げてくれてありがとう。大学で苦しいことが起きたら相談しにきなさい。恩返ししますよ。
久保田悠仁
高校3年間のうち怪我での長期離脱の方が長かったのでないでしょうか。入学当初は、全く走りや合宿のご飯についていけず途中で辞めてしまうのではないかと心配していました。そこに、膝の怪我が重なり久保田自身もサポート班としてこのまま卒業することを考えたのではないでしょうか。しかし、諦めませんでしたね。長期離脱期間に筋トレにハマり入学当初の非力な印象からはかけ離れた体を作り上げグラウンドに帰ってきてくれました。立川国際戦でのゴールは、諦めなかった久保田への神様からのご褒美だったのかもしれません。ベンチも応援席も私の心も沸きました。失意のどん底から這い上がり最初で最後の公式戦でゴールを決める久保田の勇姿は、全員の脳裏に刻まれていることでしょう。
米谷翔流
サッカーが大好きな男。「米谷からサッカーを取ってはダメだ。」とずっと思っていました。入学当初から、ピッチ外での振る舞いが注目されがちでしたね。米谷が片倉で膝を怪我したという報告を聞いた時面食らったことは今でも覚えています。もしかしたら「サッカーを辞め、違う人生を模索してしまうのではないか。」と心配していました。そんな心配を払拭してくれたのは、怪我でも部活に必ず顔を出し、時には紅白戦で監督をやっていたサッカーが大好きな米谷でした。米谷の姿勢は周りにも伝播して、一番下のカテゴリーのDチームの雰囲気をサッカー小僧集団に変えてくれましたね。米谷は、周りへの影響力がとにかくあります。人を引っ張れる力を持っています。今後も、米谷のエンターテイナー性には楽しませてもらいますね。
松平翔環
何もかもが早過ぎる男。並外れた脚力で、一年時は常に主力として活躍し、上の代の新人戦にも出場。自分の能力を十二分に発揮していたあの頃の翔環は輝いていました。しかし、メンタル面や怪我の問題から少しずつ部活に来なくなりましたね。何度も話を聞き、何度も信じ、そして何度も裏切られました。どうにかして、Tリーグに関わらせたい。これが私のうちなるエゴでした。それも叶わず翔環は退部という早すぎる決断をしてしまいました。あの時私はかつてないほどまでに自分の無力感を感じたのを覚えています。翔環が戻ってからは、また裏切られるのではないかという思いが頭の片隅に常にありました。しかし、最後の最後に翔環は部活に安定して戻ってきてくれましたね。それだけで嬉しかったです。欲を言えば、公式戦で疾走する翔環の姿を見たかった。翔環、自分の評価を変えるのは周囲ではなく、自分自身です。根気強く何事にも取り組んで欲しいと願っています。
尾辻悠吾
尾辻の才能は人に愛されること。そして、良い意味で勘違いができること。自分はやれる、結果を残せると常に尾辻は勘違いしていました。結果が出る出ないは関係なく、自分を信じられる人の前に道は広がっていくと私は思っています。その素質が尾辻にはありました。だからこそ、試合に出たら点に絡んでいたのかもしれません。一方、尾辻はとにかく爪があまく自分にも甘い。練習や走りも少し手を抜こうとしていたことはバレています。人に愛され、自分ができると勘違いできる選手なのに、公式戦で結果が残せなかったのはその甘さにあったのかもしれません。急に、自分に厳しくしろとは言いません。徐々に段階を踏み、さまざまな経験をして勘違いが確信に変わった時に尾辻は覚醒するのだと思っています。どんなことが起きてもテンパらずじっくり取り組んでいってください。テンパったらまた熱中症になってしまいますよ。自転車を押しながら2人で帰るのはもう懲り懲りです。
天野陽向
Cチームには天野が必要でした。戦術は天野でした。足を攣っても2秒後には治りまた走り出す常人離れした肉体、空中戦のセンスは全てどこかに忘れ地上戦に特化した身体能力を持ち合わせた選手でした。そんな天野が何かを起こすたびに2人で廊下で話し合いましたね。何度面談をしたことでしょう。本当に、感謝してほしいです。しかし、一度ピッチに入れば持ち前の能力を活かして強力な個としてチームのために走り続けてくれました。得点が取れず、伸び悩んだ時期や怪我が重なり思うように体が動かない時期もありました。そういった時期は様々なストレスを抱えさせ天野に試練を与えました。この試練に上手く立ち向かい打ち砕くことはできましたか。今後は、もっと多くの試練が待ち受けています。確実に。でも大丈夫です。天野ならきっと乗り越えられます。成長する過程を私は3年間傍で見ていましたから。あと、私は天野に救われました。天野は最後私に「この学校のサッカー部は一番下でも見捨てないで最後まで面倒を見てくれる。そんなところがこのチームの良いところだ。」と言ってくれました。何気ない言葉だったかもしれません。しかし、この言葉は私の原動力となり今も心の中に深く刻まれています。ありがとう。
監督からTメンバーへ
下村空
最初にAチームに火を付けた男。新チームになってしばらくした頃、負けも続いてメリハリのない状態になっていた。そこでソラがチームに話があると言って話し始めた。「おれは勉強とサッカーを本気でやりたくてこの学校に来た。本気でやらないならお前らと一緒にやりたくない。」最初に真剣に想いを伝えて、全体に緊張感を張らせたのはこの男だった。その想いは選手たちにしっかり届き、この時あたりから指導者が心のエンジンにならなくても、自分たちで動き出したように感じる。そんな男だから、サッカーの神様は最後の大舞台のT3昇格戦で少し力を貸してくれたのかもしれない。全員が大森学園戦をこういう。ソラの試合、と。心も体もきついことも多かったろう。授業も持っていたが、不眠になりかなり体力ぎりぎりのところでやっていたと思う。ただその意志の強さは見上げたものである。公式戦フル出場したのはお前だけじゃないか?大森学園にPKで勝った後、車で思ったのを覚えている。このチームの最初と最後を飾ったのがソラだったのは、必然だったのかな、と。ソラで始まり、ソラで終わったシーズンだった。
稲垣遼一
最後は一番この男にキャプテンマークが似合っていた。真のリーダーだったかもしれない。最後の方だけね。2年生までのリョウイチは無責任の塊みたいな男だった。無責任な性格的にも守備能力的にもリョウイチを出すと1失点は必ず覚悟しなければいけなかった。2年次のT3最終節にリョウイチのマーカーに決められたシーンとリョウイチの顔は今でも鮮明に覚えている。おれは、こいつは変わらないと思っていた。新チームの時には主力としての構想を完全に外した時もあった。それがこの男、サッカーで一番大切な能力を2つ持っていた。それが、「怪我をしない」「負けず嫌い」である。怪我をせずにチャンスをつかみ、さらに春合宿の管生戦のような挫折に折れずに立ち向かう力があった。気づけば練習で集中が欠けることはなくなり、どんな時もチームに声を掛け始めるのはリョウイチになっていた。リョウイチが原因で失点することは4月からなかった。入学時とは別人。実はもう後半の方はリョウイチをフィールドの監督として位置付けて、指示は全部リョウイチに出すことにしていた。まあおれは戦術理解度よりもリョウイチの本当の功績は、練習中の鼓舞だと思っている。まねできない熱量である。リョウイチがいなかったら、T3に行くことはなかったと思っている。
秋山 駿
実はチーム戦術の要。このチームの「全員戦力」という言葉を戦術的に成立させていたのはシュンだった。シュンをCBに置くのか、ボランチに置くのかで出る選手とチームの強みが変わってしまう。そして、どちらにいても主役級の活躍ができる能力があった。いかんせん無責任でメンタルの影響が大きく、2年次はAに入れても全然前に出てこないタイプでまるで伸びなかった。それが自分の代になり、CBをやるようになってからは人間的な広さというよりも深さが出た。できることを増やすよりもできることを深く掘り下げるのがうまかった。シュンもケガをしなかった。大和南のあとに少し抜けたくらい。もっと攻撃的なセンスを伸ばす未来もあったと思うが、シュンはおそらく自分よりもチームのことを1番に考えてCBを受け入れてくれていたと思う。振る舞いは無責任な悪ガキだが、深いところでかなりの成長をした男である。チーム1STを言わずともやっていた。調子に乗るといけないので言わなかったが、シュンのコンディションとポジションでゲームプランを立てていた。超重要人物。
住田 神
変人。最後まで変人。攻撃時、左SBのシンが右サイドの裏抜けをするシーンを何度見たことか。そして仲間から「シンが試合中どこにいくか予測できません」と何度相談されたか。ただ、シンはおそらく、チームで1番サッカーが好きだったと思う。肩の骨折でできなかった時期と、最終戦でまさかの開始4分での骨折退場。特に骨折退場の時の、絶対出したくない×サインを泣きながら自分で出してきた顔は忘れられない。そして、シンはサッカーのためなら自分を変えられる力を持っていた。2年次までのシンは納得できないなら報復のファールをするわ、自分勝手に攻撃するわと力の使い方が自分勝手でしかなかったが、徐々に仲間にいじられながらも他者の意見も受け入れ、バランスの良い選手になっていった。やはりそのあたりから大学のスカウトも多くくるようになってきた。ポテンシャルはバケモンである。最後の試合の無念は、今まで自分勝手にやってきたつけを払ったと思いなさい。ただ、つけは払い終わったから、大学でもっと大舞台に立ってきなさい。プロになって帰ってこい。
高梨 倖弥
ミスターマイウェイ。実はシンたちよりマイペースな男。2年次からスピードと強さ、そして人には出せないブレない強気さを武器に活躍してきた。3年次は怪我に苦しんだ時期もあったが最後まで活躍した選手だった。T4国士館の得点はT4のうちの得点で一番美しい得点だと思っている。そんなユキヤの功績はプレー面も大きいのだが、1番は全カテゴリーの試合を必ず応援に行っていたことである。自分のTリーグはもちろん、地区1部、地区3部の試合をユキヤは全部見に行った。自分が試合に出て疲れていても、そこは絶対にブラさなった。なかなかマネできない。この代は42名いて非常に多い代である。その42名がカテゴリー関係なく勝ちも負けも共有してチームになれたのはユキヤのように仲間をつなげ続けた存在がいたからこそである。トップの選手として、このチームをつなげた功労者として、リスペクトしている。ありがとう。
庄司 秦崇
大森戦のMVPはソラがいなかったらタイガではないだろうか。タイガはもともとユーティリティプレーヤーでサブの選手としていろいろなポジションを埋められる選手だった。しかしスタートの選手が戻ってくればまたサブである。どのポジションに入っても、気の強いスタートの選手と違って少し自信がなく、勝利に関われる勢いがないので後半で調子を落としていくことが多かった。それでも勝負強いのが、常にスタートがいないポジションを埋め続けて試合に関わり続けていた。そして経験値をどんどん得ていく。夏が過ぎたころは完全にスタート争いに関わる選手になっていた。そんなタイガが最後の大森学園戦でまさかの開始4分くらいでスタートのシンが負傷交代すると左サイドバックで圧巻のプレーをする。走行距離はおそらくチーム1で、スプリント回数もチーム1。左サイドをほぼ完封し、攻撃の起点をほぼ左に持ってきた。後半の左のスプリントから切り返してシュートを撃ったシーンは、防がれはしたが、後半に尻つぼんでいた過去のタイガと決定的に違うプレーだった。自信のあるクロスに逃げるわけでもない、自分が勝負を決めに行った決定的な1本だった。選手の成長と自立をしっかりと感じたプレーだった。タイガ、お前を成長させたのは誰でもなく自分自身だ。かっこいい選手になったな。
星 洵大
ポテンシャル抜群の右サイドプレーヤー。入部してきた時、右サイドはこの選手が制圧していくのだろうと期待していた。しかし、優しすぎる。周りのことが見えているがゆえに、不甲斐ない周りにも自分にもストレスを強く感じてしまう選手だった。サッカー選手にしては繊細な選手。それでも経験を積んでいけば自信をつけていくだろうと思っていたものの、腰の怪我でまさかの8か月近い長期離脱をすることになってしまった。おれはジュンダイの性格上、厳しい勝負の環境以外変われないと思っており、焦りを感じていた。やはりピッチ外ではサポート班の中軸として持ち前の視野の広さと真面目さで一時代を作っていた。ジュンダイがいなかったらルキが活躍するベースはチームになかったかもしれない。しかしそれで終わってしまうかもしれない…という不安は外れた。まさかのジュンダイは性格を変えずに器だけ大きくしていった。できない時間で自分の覚悟とタフさを強靭にし、繊細な選手ではなく図太い選手になっていた。野田のジュンダイへの信用はすごかった。その選手の良さを大切にし、貫かせる。ジュンダイを通して勉強になりました。
内田 英汰
まさかの選手。過去、夏明けにCチームからAチームに入ってきた選手がいただろうか。正直3年の最初あたりまでは、頑張ればBチームに上がれるのではないかなーくらいにしか思っていなかった。それが、筋力がつきはじめてからスプリントの姿勢が完全に変わり、そのスピードに殺されない左のクロス能力が目に付くようになった。エイタのロングスプリントのタイミングとスピード、クロスの美しい球筋はAチームの誰も持っていない武器だった。正直守備の安定は課題が多く、使うことは限られると思っていた。案の定選手権予選と国分寺以外は出場がなかった。最後大森学園戦の後、エイタに「先生、ほとんどAチームに貢献できなくて、すいませんでした。」と大泣きしながら言われた。エイタよ、そんなこと言わせてすまん。試合に出せなくてすまん。BやCにいたら多くの出場時間で観客を沸かせる選手になっていたのは間違いがない。それでも、おれはAに引き上げたんだ。だって、お前はAチームの能力があり、Aチームの選手としてふさわしかったから。試合は練習で作られる。お前がいて練習の質が上がり、ゲームプランが活性化した。「全員戦力」。Aに来る覚悟を持ってくれてありがとう。
益子 佳大
おれはケイタの話し方が好きだった。大きな声を上げるわけでもなく、ちょっとした洒落た言い回しをするわけでもない。自分の思ったことを相手に届けるために、相手の顔を見てしっかり伝える言い方。チームが始まって最初に決めるのは部長と副部長である。昭和第一学園の部長は、「試合に出る出ない関係なく、チームの理念を裏表なく実行できる、チームの象徴となる選手」と決まっている。2年次から強度を付けさせるために左サイドバックで育て、メンタルもプレーもこいつが120名のボスだと決めていた。しかし、新チーム最初は話す内容が薄っぺらかった。テンプレートのようなことを話していて何度自分の言葉で話せと言ったか。それが新チームなってすぐの部を揺るがす集団やらかし事件のあたりから徐々に変わっていった。かなり早い段階から、ケイタの言葉を全員が吸い込むように聞くようになっていった。それは最後まで変わらなかった。夏当たりからずっと思っていたが、「こいつが部長で良かったな。こいつには良い想いをしてほしいな」と。最後の大森学園戦、ケイタが蹴るときに実は結構、感極まった。決めても外してもどっちでもよかった。しっかりすごいコースに決めたのはさすがだった。良い想いをしてほしいと思った選手である。おれが担当の古典探究の点数が、大してよくないのだけ気がかりである。
石橋 汰記
社会に出て、こういう奴が評価されてほしい。タイキはテクニックこそあるが強度が足りない選手で、新チームにスタートで入ってくるのは難しいと最初思っていた。しかし予想を覆した。まず自分をチームに食い込ませた武器が献身性と理解度の高さ。毎回の練習で前線の選手の中で戦術理解度が一番高いのがタイキだった。速くない、強くない、なのにタイキを出した方がうまくいった。一番印象が変わったのは城北埼玉のグラウンドで試合をやった時にやってほしいことを完ぺきにやっていたのはタイキだった。次に積極性。仕掛ける、打つなどのクオリティが低くてもそれが課題となるや一生懸命取り組む。そして気づけば体作りを徹底して強さも手に入れた。かなり良い体である。タイキはリュウトを恨んだ方が良い。リュウトがいればボールのためが左で起きてもっとタイキの足元が活きる可能性が高かった。苦肉の策でセカンドボール中心の戦術にしていって出場が減っても決して腐らず、「全員戦力」の象徴のように態度に出さず結果を出し続けた。苦手から逃げずに苦手を消していく、努力の天才かもしれない。よく途中交代でキャプテンマークをまかせたが、当然タイキが巻くべきだから巻かせただけだ。痛がる時に地面を叩く選手は初めて見たが、ここまで努力をして苦手を消した選手も初めて見た。おそらくもっとうまくなる。
近藤 琉虎
この選手が怪我をしていなければすべての戦績はもっと違うものになっていたに違いない。「サッカー」がうまい。常に相手の嫌なことを考えており、常に「ゲーム」をしている。昭和第一学園のキャプテンはチームの「魂」になれる奴である。そして、やんちゃなこの代は「一番サッカーが好きで負けず嫌いな奴」にやらせようと決めていた。それがリュウトだった。1年次は辞めさせようかと思うくらい問題児で、小さくて弱くて兄弟げんかばかりして態度も最悪だった。試合に出しても相手を蹴ったり投げ飛ばしたりしていた。成績も1年の終わりまで評定2.8くらいだった。ただこいつの負けず嫌いは本物で、試合に出たい一心で、Aチームに入りたい一心で、勉強も態度も変えて評定4.4くらいまであげてきた時は驚いた。不思議と顔つきも変わり、プレーもこのころから爆発し始めた。おれが一番凄い、と思っているのはやはり大成のPKである。昭和第一学園史上、おそらくもっとも会場の緊張感が高かったPKである。歓声が一切消え、恐ろしい緊張感だったが、リュウトの立ち姿の存在感はそれを超えてしまっており、これは決まると確信していた。こいつは大物になると思った。しかし神様はしっかり試練を与え、腰の怪我で長期離脱、復帰後すぐに膝の怪我。それでもこいつは痛くて大して動けないくせに「先生、自分行けます」と難しい展開の時に堂々とアピールして試合に出せと迫ってくる。リーダーらしいやつは他にいっぱいいる。けど、この代のキャプテンはやはりお前がやっておけ。シンと一緒でやんちゃしてきたつけはもう払ったから、アメリカで思いっきりやってこい。昭和第一学園プロ第一号を譲るなよ。
古市 育大
ワンダーボーイ。おそらくこれからこの代を語るときに「イクヒロとかがいた代ね」ということが多くなりそうな存在感だった。問題児3兄弟を作るなら、リュウト、シン、イクヒロだろう。(まあヨネヤやアマノもいるんだが…。)ただこういうエネルギーの塊で、放っておくと自分勝手でどうしようもないやつが勝負を決めるのだからサッカーは面白い。試合を振り返ると、大切な試合のほとんどにイクヒロのゴールがある。はっきりいってシュートフォームはぐちゃぐちゃだしコントロールもうまくない。ただ、シュートタイミングだけは圧倒的にうまい。迷わないこの性格が生み出した天性のハンターである。問題児3兄弟はしっかり神様の目に留まり、神様は、膝の直らない怪我をイクヒロに与えた。最後数試合の走り回れない苦しさと悔しさで途中交替して泣き崩れるイクヒロは印象的である。髪の毛を隠れていじっていたお前が坊主にしてまで何かを変えたくてもがいた姿はかっこよかった。中学時代にわき道に反れそうなしょうもないお前が、うちの最終セレクションに来てくれて、常にサッカーと仲間を愛してくれて、多くの感動的なゴールを与えてくれて、感謝している。
三浦 胤生
対戦相手の監督に和製ヴィエリと呼ばれていた。超大型FW。しかし、こんなはずではなかった。入ってきた時から大切に育てて大型CBにするつもりだった。コーチ陣にも育てるように言っておいたが、ほぼ全員のコーチから「こいつは無理です」と返ってきた。わがまますぎるし楽観的過ぎる。ミスを自分の中で消化するのが下手で、確かに全然うまくならない。実はシーズンが始まる直前までAではやっていけないと判断されていた。ただ、カズキはおれに感謝した方が良い。おれの勘で、今年の代のAチームに入れておけば、自分の不甲斐なさで言い訳できないし、何よりもカズキのコミュニケーション能力なら、絶対に伸びる、と断言してAに無理やり入れた。正直夏くらいまでは全然試合に出せるレベルにならないし、おれの勘が外れて他のスタッフに申し訳ないとすら思っていたが、やはりサッカーはすべてを叶えてくれる。サッカー好きのカズキはセットプレーでチームに勇気を与え、戦術的な理解でサッカーを楽しみ、周りにいじられ倒しながらも言い訳をしない選手になっていった。あんなにわがままでメンタル豆腐でしょうもない奴が、ただひたすら明るくて努力を惜しまない、誰よりもチームの勝利を喜ぶ、チームのモチベーションの根っこをタイキとユウと三人でしっかり作っていった。まさか自分自身、大森学園戦の最後、エイタ、ユウ、カズキで迷ったときに、カズキの名前が自分の口から出ると思わなかった。一瞬、カズキを出したら楽しめそうな予感がしてしまった。そして、予感通りのシュート本数とPKを決めて帰ってきた。俺の直観を自分に引き寄せたところが凄いかもな。
橋本 汐
強い男。そして、おそらくこれから先、おれはサブの選手たちにユウのことを話し続けると思う。今でもユウとABのどちらに行くか話した時のことをはっきり覚えている。そして自分の気持ちもはっきり覚えている。ユウは下のチームで圧倒的な存在感を放ち、もはやチームの象徴みたいなやつだった。しかしAチームにいけばチームの要と言えるリョウイチ、シュン、コワと争うことになる。リーグにスタートで出ることはほぼないと言える状況はわかっていた。おれは、上のカテゴリーに行けるならそこで挫折したとしても絶対チャレンジしてほしいと思っている。それがチーム理念だから。ただ、人間だから、厳しい環境に挑戦する時、それぞれの強い意志が必要になる。ユウもそれがないなら、Bに行くのも仕方ないと思っていた。そしたら、まさかの動機を言ってきた。「府ロクジュニアユースのBからシュン、コウタ、ユキヤと4人で一緒にここに来た。自分だけAではないのがずっとコンプレックスだった。自分は高校でサッカーを辞めるが、今戦わないと一生後悔する。Aでチャレンジさせてほしい。試合に出たい。でも、Aの試合に出る努力をしたい。」その後、最後までユウがスタートを張った試合は少なかった。ただ、ユウは常に最高だった。常に腹をくくっていた。ユウにAチーム以外はもう似合わない。選択肢はもう、ない。Aのスタートの壁は高かっただろう。しかし、下のカテゴリーの選手からしたら、そこに挑むお前の背中の方が高く大きく見えていたと思うぞ。
青木 一真
未完のアタッカー。練習試合でまず相手に言われるのが、凄い右サイドアタッカーがいるな!ということだった。大学生でも止められずに、見ているこっちの胸がすく思いである。おれはサイドアタッカーが少ないタッチで猛スピードで切り裂いていくプレーがすごい好きである。だからエイタやイッシンのプレーはすごい好きだった。イッシンの功績は大きい。2年次から真面目な性格で献身的なプレーをし、守備が軽いのがたまに傷だが、教えたことを裏切らずにやり続け、着実にうまくなるセンスも持っていた。しかし、おれはイッシンに関してはもっとやれたと思っている。完成形だとまるで思っていない。というかおれがもっと化け物に育て上げなければいけなかったと思っている。それだけの性格とアジリティ能力だった。リュウトも怪我してどんどん守備的なチームになっていく中、イッシンに守備を求めていったが、もっと攻撃にオーガナイズした戦術も出来たのではないかと思っている。最後の大森学園戦で、左のソウタロウをトップ下に持ってきて、セカンドを拾った後に右に残したイッシンにボールをふらせたのもその想いからだった。他のやんちゃな奴らはおれが環境を整えて多少まともにしてやった自負があるが、イッシンは違う。もっと成長させられた。中学生であった時、強豪相手にアタッキングサードでイッシンが相手の懐に潜り込んでポケットに切り込んでいく姿を想像せずにはいられなかった。イッシンよ、大学でサッカーやったらどうだ?
福島 宏太
府ロクのBに埋もれていた選手。そんなコウタが、最終的には「戦術コウタ」になっていた。一人で攻撃戦術になれる選手になってしまった。すべての試合で怖かったのはコウタが怪我をすること。それくらい替えの利かない選手になっていた。最終的には大学のスカウトにどんどん声がかかるような選手だった。入部時はまったく走れずにこいつはダメだと思った。しかも走り方というか手が全然使えない選手。2年次も試合に多く出ていたが裏に走れるけどシュートが全然できないし少し強いだけの選手だった。それがいつか全然覚えていないが、急に相手を背負うことを覚えた。本当に何かきっかけがあるわけではないが、急にチームに攻撃の時間ができ始めて、その原因を分析するとコウタのボールキープであった。CBに負けた試合はほぼなかったのではないだろうか。ほぼボールキープに関しては無双。それからは何が伸びるかまったく予想がつかない選手で、ヘディングシュートでぼかすか決めだすは、苦手なはずのシュートを振り抜けるようになってからはミドルも決めていた。インターハイのあたりで今年の昭和第一学園は違う。決めきれる選手がいるから気を付けろ、と回っていたらしい。コウタのことである。しかしさすがこの代のストライカーを張るだけのことがある。結構わがままである。ハルヤとの2トップはついにうまく機能したことがなかった。イクヒロやタイキの時は分業がなされていたので好きにできていたが似たタイプ同士だと恐ろしく能力が下がる不思議。大学でやったらどうだ?お前はサッカーの連動を覚えたらサッカーもっと楽しくなるぞ。伸びしろしか感じない。※ちなみにお前のイメージがあるので2年のFWの体の張り方がうまい。お前のおかげ。
大村 春陽
この代じゃなかったらおそらく圧倒的ストライカーでレギュラーを張っていたであろう男。攻撃陣で最初に頭角を現したのはハルヤかもしれない。湘南遠征での活躍が印象に残っている。まずは献身的なプレッシング、そして柔らかいボールタッチ、この二つが魅力的だった。将来性抜群のFWが出てきた!と思ったら戦術理解度の低さと集中力の欠如が半端ない。もう少し頭が良かったら…と常に思っていた。成績は3年生の中で堂々の下から3番目。ほとんどのAチームが4.0を超え、4.9を取るやつがいる中で…。勉強とサッカーの出来が悲しくもリンクするという証拠になってしまった。逆にそんなに成績が悪いのにAにいられたのはそれだけサッカーのポテンシャルが異常だった。そんなハルヤだが、ある時からさらに異常なフィジカルを手に入れる。下半身、上半身、特に腰回りの筋力が安定してからパワーが半端なかった。相手が2Mくらい飛ぶのは日常茶飯事だった。後半の疲弊した相手に負けることはなかった。そして完全なホームランバッタータイプで、空振りも連発するが、当たれば圧倒的な活躍ぶりをしてしまう。実際、この代のベストゲームに近い駿台戦の、一生残るであろう延長戦のゴールはハルヤがたたき出したものだった。ソウタロウの美しいクロスから、美しい空中姿勢からのヘディング。あと、おれは大森学園戦を最後守り切った功労者はハルヤだと思っている。何個ポジションをやらせただろうか。最終的には左サイドバックをやらせた。もうDFがいない中、頼れるのはハルヤの献身性と体の強さだけだった。おそらくハルヤを左サイドバックにしていなかったら負けていただろう。成績もう少し良かったら多摩目戦出したかもね。
酒井 翔雅
すまん、お前に対して何もしてやれなかった。おれがショウマに与えたものの、何十倍もショウマはおれにもチームにも与えてくれていた。思えば入ってきた時から全く変わらない。GKが毎年少ない中で、一般入部組で来たショウマに、「辞めるなよー」と声を掛けた時、「頑張ります!」と笑った顔が、高校3年生の顔と全く変わらない。それくらいもう入ってきた時から素直な良い奴だった。GKは変人が多い。ソラは変人そうに見えて意外とまともな部類だが、ショウマの方はめずらしい変人だった。人一倍繊細かと思いきや、すぐに切り替えるメンタリティ。ずけずけと仲間に言って言いかえされたり指導者に怒られたと思いきやすぐにいい目つきで切り替えていたりする。そう、真っすぐで正直者で、正義感が強いが、不器用な奴で、繊細なくせに変なところ図太い。ジャンルが「ショウマ」なのである。ショウマが注意するのが日常すぎて、集合時に全員を静かにさせるにしてもみんな聞き流すし、試合中のコーチングにしても結構聞き流されてしまう。しかし、最後の方、心から思った。こいつはすげえな、と。おそらくショウマがいることで盛り上がるというよりも、雰囲気が沈まないのである。ショウマが1人でも声を出し続けることで、全員が口をつぐむような暗い雰囲気の練習がほぼ0だった気がする。それは誰にもできないことで、すごいことだぞショウマ。勝負の世界に置いて雰囲気が沈まないことは絶対的な強みなんだ。お前はすごい。おれはお前の変わらないまっすぐさに敬服している。
清田 琉喜
隠れ番長。この代の最大のお荷物からこの代の顔にまで上り詰めたやつ。この代の3年生が引退した後の全体ミーティングで後輩から口々に出たのは「ルキさんがいない。どうしよう。」だった。ルキがいなくなり、今後どうしていくかを考えるのが、最初の全体ミーティングだった。ルキが最初に入ってきた時、絶対続かないと思っていた。スキル、フィジカル、根性、どれをとってもついていけないレベルだった。ただ、発信力があった。実力など関係なく意見を発信できる力があった。OBのケンタと立ち上げたサポート班はジュンダイが維持してくれていたものの、いつか復帰してしまう。どっしり構えるサポ班の長が必要だった。ルキになってほしいとずっと思っていた。そんなルキだが走れなさが異常な時期があり、血液検査で長距離などをうまく走れない状態なのがわかった。そこでルキは腹をくくってサポ班に心血を注ぎ始めたが、大当たりである。ルキが頭をつかってあれこれと指示を出して回しているイメージを他の奴は持つかもしれないが、ルキの本質は熱量である。もちろん試合準備にしても何にしてもしっかりやっていたが、ルキを後輩がリスペクトしているのはやはり応援だろう。最初、おれはルキにベンチに入ってサポートしても良いと言ったが、ルキは応援団長を選んだ。ベンチに入るのは優越感もあるだろう。しかし、特別な役割ではなく、応援団をまとめて全力で応援をすることにサポ班のプライドを見たのかもしれない。常にルキから自分の試合だ!という強い意志が感じられた。おそらく、全部員がこのルキの背中にリスペクトを感じていた。この熱量こそがルキである。昇格戦のあと、選手より誰よりも号泣して喜ぶルキを見て、お前のおかげで勝てたよ、と心から思った。ここで伝えさせてもらう。











































