サッカー部本年度卒業の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
昨年度の卒業生は私と一緒にサッカー部に入り、一緒に学年を上がっていって、
私をサッカーのファンにした人たちでした。
皆さんは、私にとってどのような存在だったのか、
サッカーのド素人の私のことを振り返りながら、皆さんの歴史を語ろうと思います。
皆さんがサッカー部に入部し、私は1年生に主で関わることになりました。
皆さんには失礼な話ですが、前の1年生が2年生になり、Aチームには龍先生がBチームには今井さんが
主で関わる形になり、それまで見てきた1年生に深く関われないというのは、少しショックでした。
ただ、同時に裕介コーチに1年生を指導していただけることになり、
サッカーコーチのプロフェッショナルに横についてもらいながら皆さんとかかわる体制もできました。
その際に裕介コーチからうけた提案が、
「中途半端な気持ちでサッカー部に来てほしくない、前の1年生でも走れない生徒が多い、
だから徹底してまずは走らせましょう」というものでした。
サッカーのド素人の私はこう答えました。「そうしましょう!」
そう、皆さんをひたすらに走らせ続けた原因の一人は私です。
裕介コーチ「人数が多いとトレーニング効率がどうしても落ちてしまいます、
かと言ってずっと見ているのはさらに効率が悪い、半分は渡辺先生が走らせ続けてください」
渡辺「はい、がってんしょうち」
裕介コーチ「あのジョグで半分歩いているようなのは、強度が上がらずトレーニングにならないです、
強度をあげましょう!」
渡辺「はい、がってんしょうち」
皆さんの恐怖の日々はこうして形づくられました。60人以上(だったかな)
いた最初の入部希望者はごっそり減っていきました。
そして、そうして残ったのが皆さんでした。
史上最も走れる世代「最強世代」の最初のアイデンティティはここから始まったのかもしれません。
何せ走りに関してはなぜか私も意地になりはじめてましたから、
シャトランでも「誰でもいいから一人、1年生が常に一番でゴールしよう」と煽り、
走らされ過ぎて走り慣れた上にランが得意な選手がいた1年生は見事必ず誰かがトップでゴールをするという
結果を残しました。
シャトランで座り込むやつが一人もいない。走りだけならとてもタフな1年生が生まれました。
その一方で新1年生として入ってきた皆さんと活動をする中で、私の中で決めていたこともあります。
それは、前の1年生では彼らに付き添うことしかできなかったところを反省し、
少しずつでも新1年生には自分の考える基準やメッセージを伝えることでした。
前の1年生と比較するとサッカーそのもののセンスのようなものは前の1年生が圧倒していましたが、
精神的には皆さんのほうが大人だったようにも思います(個人差はあり)。
それは、あれほど続いたランニング地獄のなかでも辞めずに食らいついてきた皆さんの力だったのでしょう。
何かを伝えたいという中で、伝えたいことが一つありました。
ウェイトのトレーニングに関して、前の1年生はウェイトルームではしゃぎすぎ、
ウェイトルームでのトラブルもあったため、新しい1年生にはウェイトルームでの過ごし方を
しっかり伝えようと思いました。ただどう伝えるかは悩みました。
ウェイトのような地道なトレーニングは仲間との声の掛け合いや冗談の言い合い
のような楽しさも必要だと考えていたため、規律良く黙々とやることに成長はあるのかと思い、
ずいぶんモヤモヤしていたのを覚えています。
それでもやはり、道具を正しく使い、はしゃぐのではなく自分と向き合って
ウェイトをすることのほうが大切だと思い、
皆さんには「ウェイトルームはしゃべる場所ではないこと、片づけにも神経を使うこと」と伝えました。
後日、川越コーチに新1年生を見てもらうようになってから、
「新しい1年生は真面目です、ウェイトへトレーニングに向き合う姿勢がよい」
と聞かされたときはとてもうれしかったのを覚えています。
春に外部への合宿へいったのを皆さんは覚えていますか?
覚えていますよね。朝っぱらから山の斜面を走らされたんだから。
でもこの春合宿も他の世代は体験していないものでした。
私も皆さんと一緒にいっしょに参加し、私の母校が参加してので、
あのチームにだけは絶対負けるなと煽った記憶があります(笑)。
このころからでしょうか少しずつサッカー部のファンであるだけでなく、
皆さんの役に立ちたいと思えるようになったのは。
夏には、これも今はコロナ禍でできなくなってしまいましたが、お祭りのボランティアにいきました。
さすがに2年目なので、私も張り切っていきました。
その前の年は、大きな問題はなく終わりましたが、前の世代の1年生はまだまだ子どもで
控室を汚すなど肝を冷やしたものでした。
そして、私の心配をよそにこの学年の富士見町のお祭りボランティアは順調に進みました。
着ぐるみにもまた入りました。
ところが、5、6人でしたでしょうか途中で持ち場を離れてサボってやがってました。
怒鳴りました。昭和第一学園に入職して、初めて生徒を怒鳴った記念すべき日でした。
それでも役割をみんなでしっかり果たしながら、次のボランティア先も含めてメンバー全員で
とても楽しいそうに参加して印象的です。なんだかんだで真面目な皆さんでした。
神輿担ぎも踊りも楽しかったな。笑わせてもらいました。
さらにさらに、これも今はコロナ禍でできませんが、朝練もしんどかったですね。
朝苦手な生徒もいて遅刻もでたりといろいろありました。
最初の頃はリフティングしては走らされ、パスコンやっては走らされ、
トレーニングで負けると走らされ、やっぱりここでも走っていました。
1年生の時にもう一つ忘れられない思い出があります。
夏合宿だったでしょうか、冬合宿だったでしょうか。
1年生の上のチームにはまだいけないメンバーでチームを組み、
今井さんの指揮のもとで戦ったときがあったと思います。
チームがバラバラで気持ちものらずなかなか勝てずでいた合宿最終日、
トレーニングマッチで駒沢Cと戦うことになりました。
まだまだ弱いこのチームの中でもさらにまだまだ芽がでない選手だけで戦ったこの戦い。
しゃべるのが苦手、最後まで粘りぬけない、そんなメンバーたちが必死に戦って戦い抜いて同点で終わりました。
ところがその必死な試合の流れを見ていたはずのちょっと戦えるはずのメンバーで
戦った次の試合ではまたもチームが機能せずボコボコになりました。
私が試合で選手に向かって大声で鼓舞したのはこれが初めてでした。
名前は書きませんが、今でも「今ここで踏ん張れるのはお前だけだ、歯を食いしばって、前のやつらを動かせ」
なんてことを言ったのを覚えています。
全くしゃべれないやつ、かっとなってすぐ自暴自棄なプレーになるやつ、
自信のないやつ、自分勝手にひたすらプレーするやつ、何を考えているのかわからんやつ、
ほんとこの時にこのチームにいたメンバーがAチームに行ったり、Bチームのままだったり、
懐かしく思い出します。
ここから少しずつフォーメーションのことやサッカーの動きを私は勉強するようになりました。
さて、そんな皆さんをコロナ禍が襲います。部活はできなくなりました。
2年に上がっても学校にも登校できなくなりました。
そして、再び再開できるようになったとき、私は新1年生の担当になり、
皆さんはAチーム、Bチームに分かれていきました。
前の学年はこの間に物凄く体が大きくなった印象がありますが、
あまり皆さんには体が大きくなった感じはしませんでしたね。
少し不安にもなりましたが、あれほど走って真面目にやってきた皆さんです。
きっと大丈夫とも思っていました。
皆さんが2年生になると、私の中で皆さんとの思い出が急に希薄になります。
それは私が新1年生の担当になったこと、最終学年の担任になり進路指導などにかかりきりになったこと、
2年生の授業が一つもなかったこと、3年生になった前の学年への感情移入などが原因でしょうか。
そんな中皆さんは、2年生後半、結果を残し始めます。新人戦初の代表決定戦進出。
ハラハラしながら結果を待っていました。
残念ながら代表決定戦では敗れてしまいましたが、皆さんの努力が実を結び始めているのを感じました。
そして皆さんは3年生に。
また新たに新1年生の担当になった私ですが、この年度から今井さんとともに
Bチームにもいっしょにいることができるようになりました。
ここからさらに今井さんや皆さんに手伝ってもらいながらサッカーの戦術のことを
学ぶようになっていきました。
ありがたいことに私の素直な「私にはよくわからないが、これはこういう戦術がよいのか?」
という質問にメンバーも一生懸命答えてくれました。
ありがとう。
Bチームのトレーニングやミーティングに帯同し、
自分の経験の中で伝えられることを毎回一生懸命伝えようとしていました。
少しでもサッカー部の理念に近づけて「いい男」にして卒業してもらいたい、
Aチームに行ってもらいたい。そこで活躍してもらいたい。
そのために何を語るべきか、毎回モヤモヤしながら話していた気がします。
そんなおっさんの話を少しでも覚えてくれていたらうれしいです。
Bチームのトレーニングの中でいろいろなことを見てきました。
公園に走りにいきましたね。
おかわり回避のために走れるやつが必死に走ってました。
昭和高校と戦って、その後片倉高校とも戦いにいくという道場破りのようなこともしましたね。
残念ながら片倉戦は大雨でグラウンドが水没し、中止になりました。
戦いたかった私にとっては悔しい思い出です。
職人のようにこだわりをもってプレーできるようになり自信がついてきた人もいれば、
なかなかAに上がれずに歯がゆい思いをした人もいましたね。
ほんとうに一緒にいれてよかったです。
そして選手権。
今年度も運営スタッフで帯同し、皆さんの戦いを見守ることができた試合もありましたし、
行けない試合もありました。
しかし、昨年度私は都大会に帯同できずに歯がゆい思いをしたことを覚えていたので、
龍先生に今回は選手権に連れて行ってほしい旨を伝えました。
どうしても皆さんの最後の成長がみたい。このチームがどこまでいけるか最後まで見守りたい。
願いがかなって皆さんの試合が見れてうれしかったです。
さいたま新都心の時はJRの停電でえらいことになりましたね。
私も帰りに渋滞して大変でしたが、ぎりぎりで同点に追いついてからの勝利に酔った私には
苦ではありませんでした。
久我山戦ではあんなに大きくなグラウンドで皆さんの戦いを見守れました。
ほんと逞しくなったと思いました。
そして上位チームとの差はほんとにわずかなんだと思わせてくれたのも皆さんです。
結果的には敗北に終わりましたが、昭和第一学園のサッカーが上のチームに通用することが
指導者の目にもわかる試合だったと私は感じています。
純粋なサッカーセンスの化け物やサッカーエリートどもにたとえセンスがなくても
判断スピードや戦術理解、ひたむきな練習でそれを埋め、
上位チーム食らわせてやることはきっとできるんだと感じました。
Tリーグへの進出決定もそうですが、皆さんが、先輩の後を継いで昭和第一学園に
残したものはものすごく大きいものだったと思います。
「最強世代」恐るべし。
さぁ、Bチームも今井さんの指導と皆さんのおかげで
いよいよあと一勝で全勝優勝というところまできました。
おかげでBチームの試合にもたくさん帯同させてもらい、
とってつけたように試合に行くのではなくチームの一員としてあの場に立つことができました。
みんなかっこよかったなぁ。
前の世代では結局大きな声を上げられず終わりましたが、
皆さんとときは私も大声で喜べました。
試合が終わったあと、ありがとうを伝えてもらえてうれしかったです。
みんなと戦えてほんとによかった。
最後の試合、魅了されたぜ!
長くなりましたがそろそろ締めましょう。
前の学年が私を彼らのファンにさせた学年と位置付けるなら、
皆さんは私をサッカーの戦術などを含めてサッカーのファンにさせてくれた学年でした。
それはセンスや感覚でできるものはないと思います。
地道な努力やコミュニケーション、皆さんの真面目さが私をそうさせたのだと思っています。
高校サッカーでの「最強世代」はここまでですが、
これから先も皆さんが「最強」であり続けられることを祈っています。
サッカー部に関わってくれた全ての人への感謝を忘れずに、
サッカー部の理念を忘れずに「最強の人間」になってください。
そして一日でも早く皆さんの「最強世代」の称号がはく奪されることを、
祈って終わりにしたいと思います。
思い出をありがとう。
結果に感謝を。
残したものに尊敬を!
さらば「最強世代」!!卒業おめでとう!!!
渡辺 雄大
3年生のみなさんへ
卒業おめでとう!
高校3年間をやりきり、充実しているとは思いますが、人生はこれから!
これからが勝負です。
自分の夢を掴もう。
そのためにも、いろいろな経験をして、いろいろな人に会って、
そして自分の夢を具体的にしないといけないよ。
人生これからです。頑張ってください。
河野淳一